ハネモノ 第二十七話「未知の想い」
太陽が完全に沈み空の端が藍に染まる頃、ルピナス達を乗せた船はリヒダ・ナミトに到着した。魔物に襲われた痕は港にも残されており、地面や倉庫の壁には爪痕が刻まれている。
従者の男の先導で町を歩き、最短距離で城へ向かう。日暮れ時となると自宅へ帰る者が多く、そんな中をベリスが歩いていると自然と注目が集まる。しかし、誰もベリスに危害を加えようとしなかった。
「確かに、安全になってるみたいだな」
好奇の目や聞き取れない程度のささやきが気に障るが、町民の心境を思うとその程度は仕方がない。
堀にかけられた橋を通り、城へと入る。魔物は城の内部に攻め入らなかったようで、傷跡は残されていない。従者の男は迷いのない足取りで通路を歩き、階段を無視して城の奥……裏手の方へ進んでいく。
「私達はカモミール王女と会うのでは?」
「ええ。王女様はこの先でお待ちです」
ビオラの問いかけに対し、従者の男は通路の先に佇む両開きの扉を指差した。それはビオラにとっては見覚えのある扉で、その先は何のための空間が広がっているのかも分かっていた。
ビオラの心に小さな希望が生まれるが、従者の男はビオラの様子を意にも介さずに扉を開ける。
「――よく、来て下さいました」
扉の向こうでカモミールが王女の姿で頭を下げる。その背後には見覚えのある物体……ベリスが乗っていた飛行船が鎮座しており、それに向かってしゃがんでいた子供がこちらを振り向く。トカゲ頭の、ルピナスが良く知る友人の姿だ。
「コデマリ?」
「ルピナスじゃねーか! 久しぶりだなあ!」
二人は互いに駆け寄って顔を輝かせた。クバサで互いの力を合わせて生活し、飛行船が墜落した瞬間を共に目撃した。そしてルピナスがベリスをリヒダ・ナミトに送る為に別れて以来の再会となる。客観的に見ればそれほど長期間の別離ではなかったが、今までに色々な事がありすぎて、何年も会っていなかったような錯覚に陥る。
「何でこんなとこにいるんだよ」
「見て分かんねえかあ?」
コデマリは自慢げに飛行船を親指で指す。見た目はクバサで見た時と変わらないが、コデマリの態度から察するに――
「飛行船が直ったってか?」
ラジがぱちぱちと瞬きをし、コデマリは得意げに頷いた。
「何日か前に修理が終わって、クバサからここまで飛んできた。我ながらすっげえいいタイミングだろ?」
「……すげえわ、お前」
ルピナスはぺたぺたと飛行船に触れる。これが本当に空を飛ぶのなら、もう迷う必要はないのではないか。
その思いを見抜いたのか、カモミールが「皆様にお願いがあります」とよく通る声で言った。
「明日、この飛行船に乗って孤島に乗り込み、一連の事態を引き起こした張本人……サシアムを捕らえて下さい」
「喜んで引き受けたいが……本当に私達でいいのか? 城の兵士のように場慣れしている訳ではない、国に仕えている訳でもない連中だぞ」
「正確に言うと、仕えていないのはルピナスとお嬢様ですね」
ベリスの問いかけに対し、カモミールは頷いた。
「魔物が発生してからの貴方達の行動は、様々な人達から聞きました。クバサの御者、トイス港の船乗り、人魚のペペロミア、城の門番、リーモ村の村人、雀のスターティス、捕らえられた山賊の部下……兵士が町を守る一方で、貴方達は各地を巡った。何匹もの魔物と立ち向かった。それは、どの兵士も経験していない事です。
そして、ハイドレイジアの報告によると貴方達の実力は城の兵士に劣りません。経験と実力を備えた者だからこそ、私は貴方達に協力を願っているのです」
カモミールはルピナス達に対して頭を下げる。
「どうか、宜しくお願い致します。……この国を、この大地に住まう人々を、救って下さい」
「王女様、頭を上げて下さ「当たり前だろ!」
ビオラの発言を遮ってルピナスはカモミールの手を握る。
「カモミールちゃんの頼みならいくらでも聞いちゃう! で、帰ってきたらご褒美にデートしてくれよ!」
「調子に乗るな!」
鼻息を荒くしたルピナスの背を、ベリスは容赦なく蹴り飛ばした。
* * *
完全に日が暮れて暫く経つと、周囲は完全に闇に呑み込まれた。城の兵士がかがり火を灯し、城内の視界は確保される。
城で振舞われた食事はそれほど豪華なものではなかった。カモミールは申し訳無さそうな顔をしていたが、この非常事態に贅沢をする方が間違っている。それに、料理人の腕が立てば食材が質素でも十分に美味しい。ルピナスは文句も言わずに食事を平らげた。
寝室として用意された部屋は、決して広くないが手入れが行き届いていた。小さなバルコニーも付いており、町の姿が一望できる。ふかふかのベッドをひとしきり堪能した後、ルピナスはバルコニーに出て景色を眺めた。
明かりを灯した民家が街中に立ち並び、街路には等間隔でかがり火が灯されている。数名の兵士が街路を巡回し、時折空を見上げる。空には闇に紛れて孤島が静かに浮いており、その真っ黒なシルエットは昼間以上に不安を煽る。
「怖いのか」
ふと、右側から声がする。隣のバルコニーにベリスが佇み、ルピナスと同じように空を眺めていた。
「ベリスちゃんがいるから怖くない」
「そうか」
ベリスはバルコニーの手すりに身を乗り出し、次の瞬間には羽ばたいてルピナスの隣に着地した。一人用の狭いバルコニーに無理矢理入り込んだ為、自然とルピナスとベリスの距離は近くなる。
「明日の事を考えると、私は怖い」
南方の都市で得られた武具はベリスにしか扱えない。そして、それが強力な武具であるから自然と明日はベリスに負担がかかるだろう。ルピナスは励ますようにベリスの肩を叩いた。
「大丈夫。ベリスちゃんは絶対、俺が守るから」
「それが怖いんだ」
「え?」
ベリスの答えにルピナスは首を傾げる。
「あの武具を手に入れてから、ずっと考えていた」
ルピナスに諭すように、ベリスはゆっくりと話す。
「私があれを装備して前線に出たら、君は私と並び立って、いざとなれば私を守ろうとするだろう」
「そりゃ、ベリスちゃんに痛い目に遭わせられないからな」
「もし、それで君が死んだらどうなる。私は、君が死ねばどうなるか分からない」
そう呟いてベリスは目を伏せる。よく見ると、手が微かに震えていた。
「私は君に対して抱く感情をどう表現すればいいのか分からない。こんな気持ちになるのは初めてで、ビオラに相談しても教えてくれない。ビオラの事は『好き』だと知っているから、仮にビオラに何かあれば私はどんな気持ちになるかは予想できる。だが、ルピナスに対するこの思いの正体が分からないから、君に何かあれば私は一体どう思うのか分からない。それが、怖い」
「…………」
ベリスの心情の吐露を耳にして、ルピナスは心臓の鼓動が早まるのを感じた。ベリスは自覚していないが、これはもしや――
「君と過ごすのは楽しい。君を見ていると体が熱くなる。君が他の女性と親しそうにしていると何故だか腹が立つ。もっと君と色々な経験がしたいと思うし、もっと君の笑顔が見たい。何なんだろうな、この気持ちは。君は知っているか?」
ベリスは純粋な瞳でルピナスを射る。どきん、と心臓が跳ねる。
「あ、あああ、あの、それはっ」
顔が熱い。全身が熱い。手汗が噴出して喉がきゅうと締め付けられる。ベリスが自覚していないだけで、これは間違いなく、その、あれだろう。
――奇遇だな。俺もずっと前からベリスちゃんに対してそう思っていたよ。
――まさかベリスちゃんの方から愛の告白してくれるなんて! 俺もベリスちゃんが好きだ! アイラビュー!
――何も言わずに抱きしめる。
様々な返答が頭の中で渦巻くが、どれも喉でつっかえてしまって言葉にならない。死ぬ気で搾り出した声も「ひゃい」と裏返った。
「……調子でも悪いのか?」
誰のせいだ! ルピナスはぶんぶんと慌てて首を振る。
「あ、あしたっ」
手汗を必死に拭い、裏返りそうな声をたしなめながらベリスの顔を見る。町の方向に目を逸らせばもっと楽に言えるのだろうが、ベリスから目を離してはいけない気がした。
「ぜんぶ、終わった、ら、教える、から!」
それだけ言うとルピナスは逃げるようにバルコニーから出て自室のベッドに潜り込んだ。
「明日終わったら、だな? ……分かった、楽しみにしておくから無茶はするなよ」
バルコニーからベリスの声がする。その響きはどことなく嬉しそうだ。布団の隙間からバルコニーの様子を伺うと、既にベリスの姿はなかった。来たときと同じようにして自室に戻ったのだろう。
「あああ畜生、もっとかっこいい答え方があっただろ、俺……!」
ルピナスはベッドの中で頭を抱えた。体の熱さは、当分収まる気配を見せない。
* * *
どうにも眠れなくて中庭で空を眺めていると、初々しい会話が空から降ってきた。正確には、自分が立っている場所の真上にあるバルコニーから。
人の会話を盗み聞きするつもりはなかった。しかし、下手に足音を立てればこの雰囲気に水を差す為この場を去る事が出来なかった。鋭敏な耳は二人の会話を完璧に捉え、この時ばかりは犬の獣人に生まれたことを呪う。
ベリスがルピナスに思いの丈をぶつけていた。というか好意の告白だ。ベリスに自覚がない分、聞いていてむずがゆくて恥ずかしい。告白の直撃を受けたルピナスの恥ずかしさはビオラの比ではなく、しどろもどろに返答をはぐらかし、部屋に戻っていった。程なくベリスも自室に戻り、辺りは夜の静寂に包まれた。
「青春だねえ」
……かと思いきや、物陰から見たくもない顔がぬっと現れた。ビオラは思わず顔をしかめる。二人の会話に気を取られてこの不快な臭いに気付かなかったのは迂闊だった。ビオラのそんな態度を意にも介さず、ラジはビオラの隣に立って壁にもたれる。
「振られてどう? どんな気持ち?」
「勘違いするな。私はお嬢様にそのような想いを抱いていない」
飛行船でベリスの世話をするという仕事を請けた時、ビオラは十歳でベリスは一歳にも満たなかった。それから十五年間、ビオラはベリスの成長を見守っていた。彼女が自分以外の物事に興味を示し、ルピナスと言う少年に惹かれているという事実に対して抱く感情は、どちらかというと家族に対して抱く感情に近い。
「お嬢様は私にとって、妹や娘のようなものだ」
「へえ」
ラジはなぜか残念そうに呟く。恐らく三角関係を期待していたのだろう。
「大事な娘が盗賊に盗まれちゃって悔しい?」
「……人の神経を逆撫でする貴様の言動には惚れ惚れする」
「逆撫でしちゃった?」
悪戯っぽく舌を出すラジに殺意すら覚える。可憐な少女ならまだしも、臭気を纏う中年男がしていい仕草ではない。
「人の心の機微っていうの? そういうの、分かんねえんだよなあ」
ま、別にいいけど、とラジは呟く。その横顔に複雑な心境が垣間見えたが、ビオラは詮索しなかった。
「……明日は、ついて来るのか」
「ついて来て欲しい?」
ラジは煙草に火を灯す。途端、独特の臭気が強まってビオラは眉間にしわを寄せる。
「……貴様は生理的に嫌いだ。だが、実力はある」
腹立たしいが、特務隊の隊長に恥じない力が彼にはある。認めたくはないが、彼は貴重な戦力だ。ビオラは苦汁を味わう思いでラジに頭を下げた。
「力を貸してくれ」
「あら素直」
ラジは意外そうに呟いて煙草の煙を吐いた。不快臭を孕んだ白い煙はラジの目の前を一瞬だけ白く染め、消える。
「言われずとも付いてくつもりだ。俺様の出血大サービスにせいぜい感謝しな」
「…………」
吸い始めて間もない煙草を投げ捨て、ラジは中庭を後にした。ビオラは捨てられた煙草の火を踏みにじり、吸殻を拾い上げてラジとは反対方向に歩いて中庭を後にする。
「……やはり、好きになれそうもない」
* * *
翌朝、ルピナス達は城の裏手側、飛行船の格納場にいた。作業着姿の人々が慌しく駆け回り、コデマリが飛行船の外壁を入念にチェックしながら欠伸をしていた。
「間もなく準備が整います」
作業着姿の男から報告を受けたカモミールはルピナス達にそう告げた。
カモミールの説明によると、飛行船に操縦桿は無く、あらかじめ設定した航路を一定の速度で航行することしか出来ないらしい。航路の設定は非常に複雑で、ここから孤島に向かうだけの単純な道筋ですら設定にかなりの時間を要した。
幸いにも、コデマリと数名の技師にはクバサからリヒダ・ナミトまでの航路を設計した経験があった。その経験を十分に活かし、つい先程ようやく航路の設計が完了した。最終確認も間もなく終わり、いよいよ出発の時が迫ってきた。
「…………」
ルピナスの隣で、ベリスは静かに構えている。南の都市の武具を両手に抱え、飛行船をただじっと見つめている。その視線に気付いたベリスはルピナスを見てふっと微笑む。
「……大丈夫だ。君が約束してくれたから、怖くない」
全部終わったら教えてくれ。ベリスの言葉を思い出し、ルピナスはまた全身が熱くなった。
「皆様、出発の準備が整いました」
飛行船はゆったりとプロペラを回し、船首は飛行船の出入り用に設けられた特大の扉へ向けられている。先程まで走り回っていた技師達は左右に整然と並び、直立不動の敬礼をしている。
「うし、行くか」
緊張感に溢れた空気を意にも介さず、ラジは大きく伸びをしてのしのしと飛行船に向かう。
「……本当に私達が行ってもいいんでしょうか……」
ビオラは不安げに呟くが、カモミールは「同じ説明を繰り返させるおつもりですか?」と微笑んで一蹴した。
「行くぞ、ルピナス」
「ああ、ベリスちゃん」
ルピナスとベリスは並んで歩く。
「こうして二人で並んで歩くと、結婚式みたいだな」
「……結婚式が何なのか分からないが、君の表情から察するに不謹慎なものなのだろうな」
「不謹慎じゃねえよ、俺とベリスちゃんが将来挙げるものだからさ」
にこりとルピナスが微笑み、ベリスは眉間にしわを寄せた。
「バカップルも程々にしておけよ」
飛行船の中で待ち構えていたのは呆れ顔のコデマリだった。リヒダ・ナミトの作業服を着ているその姿は、少し頼りないが国に仕える技師に見える。
「何でコデマリが乗ってるんだよ」
「……素人が見よう見まねで航路を設定した船に、技師の一人も乗せずに乗船したいのならどうぞ」
「すみませんでした」
コデマリの嫌味な物言いにルピナスは素直に頭を下げた。「それでよし」とコデマリは満足げに頷く。
「全員乗ったな? それじゃあ、行くぞ!」
飛行船の扉を閉め、内側から鍵をかける。その音を耳にすると、戻れないところまで来たのだと改めて実感する。
飛行船の内部はクバサで見た時とほぼ同じだ。前面に張られたガラスの向こうに進む先の風景が見える。飛行専用の出口は開かれており、発着用の広い裏庭が太陽の光を受けて輝いている。
コデマリが船に備え付けられた水晶玉に触れる。水晶玉はきらりと輝き、飛行船がゆっくりと動き出す。かたかたと船内が揺れ始め、飛行船が速度を上げるたびに揺れは強くなる。飛行船は裏庭を駆け、立っていられない程に強まった振動がある瞬間にふいに収まった。
「……飛んだか」
ベリスは静かに呟き、じっと外の風景を眺めた。ルピナスも横に立ってみると、そこには見たこともない景色が広がっていた。
「すげえ……」
本当に、空を飛んでいる。視界一杯に青空が広がり、身を乗り出して下を覗けば精巧な模型のような平原が広がっている。
「ここから孤島まで、それほど時間はかからない。地理的に言えばリヒダ・ナミトから北東の方角にある海上だ」
コデマリの言葉を聞いてルピナスは船に備え付けられたコンパスを確認し、再び空を見た。
「お前の思い通りには……させねぇぞ」