ハネモノ 第二十八話「犬猫の仲」
飛行船が孤島に着陸した時、辺りには何の生物の気配もしなかった。飛行中も孤島は何の反応も寄越さずにその場に静止するように浮いていた。
「……おかしい」
もしもルピナスがサシアムの立場なら、飛行船に乗っている時を狙って攻撃を仕掛ける。自ら出向く事が出来なくても、魔物を動かせばいい。
「そんな事をせずとも私達に勝てる自信がある、と言いたいのだろうな」
飛行船から降りたベリスは中心部にある建物を見て不機嫌なため息を吐いた。その羽には南方の古代都市で手に入れた器具が装着されており、右手には剣が握られている。
「好都合です。このまま一気に突入して、反撃の暇も与えずに捕えてしまいましょう」
「子犬ちゃんにしては建設的な意見じゃねーか。珍しい」
「それはどうも」
ビオラとラジが棘のある言葉を投げ合いながら飛行船から降りる。こんな場所でも変わらない二人を見ていると、仲がいいのか悪いのか分からなくなる。
「……じゃあ、留守番は頼んだ」
最後に飛行船を降りたルピナスは、コデマリにそう言った。
「任せとけ。いつでも出発できるように調整しといてやる。だから――」
コデマリはトカゲの獣人特有の鱗に覆われた右手を差し出す。
「お前もやる事キッチリやってこい」
「おう」
ルピナスは歯を見せて笑い、差し出された右手をしっかりと握りしめた。
* * *
ルピナス達が以前訪れた時からそれほど時間が経っていないにもかかわらず、島の様子は一変していた。あちこちに生えていた草花は取り除かれ、薄く積っていた雪も完全に姿を消している。建物や道路に刻まれた幾何学模様の溝の上を青い光が規則正しいリズムで走り、それに合わせて地面もかすかに揺れる。青い光はまるで血液のように駆け巡り、全ての光は中央部の建物――サシアムがいるであろう場所から走り出している。
「前来た時とは大違いじゃねえか」
ルピナスは感嘆の声を漏らす。自然物が取り除かれ、青い光が跋扈するこの島はまるで別世界のようだ。ルピナス達が知る文明とは明らかに異なる文明――遥か昔、この世界で繁栄を謳歌していた者達が築き上げた町が、蘇っている。
「感心している場合か。行くぞ」
ベリスは剣を構えた状態で道の真ん中を走りだす。ルピナスも並んで走り、ビオラとラジはその後ろにつく。
大通りの突き当たりにそびえ立つ、塔と言っても過言ではない建物を目指す。青い光が建物を盛んに照らし、この都市の中でもひときわ異彩を放っている。
大通りには罠も無く、魔物も現れない。ルピナスとベリスは拍子抜けするほどあっさりと塔の入り口に到達し、後ろを振り向いた。ビオラとラジも間もなく追いつく――その瞬間、上空で何かが割れる音がして、ルピナス達とビオラ達の間に巨大な影が現れた。
「――危ない!」
ルピナスは叫び、ビオラとラジは咄嗟に左右に跳ぶ。ひゅん、と風を切る音がして巨大な影の主がその場所に荒々しく着地する。
「それ」はルピナス達から背を向けていた。体高は三メートルを超えており、トカゲのような体型をしている。体のあちこちに棘が生え、尻尾にはとりわけ巨大な棘が規則正しく並んでいる。後頭部には真っ赤な体に似合った真っ赤な角が左右対称に生えており、そして何よりも、その背には一対の翼があった。
「……ドラゴン……?」
ベリスは信じられない、といった面持ちで呟いた。神話や童話でしか語られず、その姿を見た者はいないと言われる伝説の生物――ドラゴンの姿が、目の前にある。
恐らくは一匹のトカゲに「種」を植え付け、ドラゴンに仕立て上げたのだろう。頭ではそんな理屈が働いたが、実物を目の前にすると現実感がどこかへ飛んでいきそうだ。
「ビオラ! ラジ! 無事か!」
ベリスは剣を構え、ドラゴンの向こう側にも届く大声を出した。
「無事です!」「お子ちゃまに心配されるとはね」
二人の声がして、ルピナスは安堵の息を吐いた。しかしそれも束の間の事で、ベリスの声に反応したドラゴンがゆっくりとこちらを向いた。黄金色の瞳がベリスの姿を捉え、ぐるぐると唸り声をあげる。
「さっさと片付けるぞ!」
ベリスは剣を強く握りしめる。剣にはめ込まれた宝石がぼんやりと光を灯し――
「――そりゃあの野郎の為に取っとけ」
それを妨害するかのように、小さな針が宝石にぶつかった。きん、と小さな音がして針は地面に落ち、宝石は光を失う。驚いて顔を上げたベリスの目の前でドラゴンが彼女を飲みこもうと大口を開けていたが、太い針がその舌に突き刺さった。太い針と言ってもドラゴンにとってはつまようじよりも細く小さい、針金のようなものだ。それでも舌に突き刺さる痛みにドラゴンは悲痛な声を上げ、針の飛んできた方角――ラジの方を向く。ドラゴンの体の隙間から見えたラジは、普段と変わらないにやにや笑いを浮かべていた。
「ここは俺様と子犬ちゃんに任せて、ちゃっちゃと先に行ってちゃっちゃと終わらせて来い」
「いえ、私もお嬢様達に着いていきます。ここは貴方一人で囮になって時間稼ぎを」
「この状況で着いていく事が出来るならどうぞ」
ドラゴンはルピナス達とビオラ達の間、塔の入り口を塞ぐように立っており、ビオラ達が塔へ入る事は出来そうもない。ビオラは少しの間沈黙していたが、しぶしぶといった様子で声を張り上げる。
「……ルピナス! 私の代わりにお嬢様をしっかり守りなさい!」
「……分かった!」
ルピナスはベリスの手を取り、塔の中を進み始めた。
* * *
「……私の代わりに、かあ。お堅い執事様もついに盗賊のガキに大切なお嬢様を任せるようになるとはねえ」
「この状況では仕方が無いだろう!」
ビオラが腹立たしげに舌打ちをし、目の前にそびえ立つドラゴンを見上げる。長身のビオラでさえも見上げなければならない巨躯は、今更ながら圧倒的な迫力を持つ。ドラゴンの敵意はラジに向いているからまだましなものの、ビオラに敵意が向けば平静を保っていられる自信が無い。
ドラゴンはぐるぐると威嚇の声を出しているが、ラジに襲いかかるそぶりは見せない。ラジの両手には何本もの針があり、袖口からは何本もの糸が青い光を反射して微かに輝いている。ドラゴンに対して殺傷力があるとは言えない武器だが、舌を刺された事もあり警戒しているのだろう。
「勝算はあるか?」
「さあねえ」
ラジの気の無い返事にビオラは思わず肩の力が抜ける。
「無いなら囮になって時間稼ぎして死ね」
「子犬ちゃんは短絡的だねえ。『無い』とは言ってねえじゃん」
考えてみろよ、とラジは不敵に微笑む。
「ドラゴンなんているわけねえ。こいつはサシアムが作った魔物だ。魔物を魔物たらしめるものは『種』だろ? そいつを取り除けばどうなる?」
「……元の姿に、戻る」
山賊を退治した時の事を思い出す。魔物と化した山賊の首領は、「種」を切り離せば元の姿に戻った。このドラゴンも同様だ、とラジは言いたいのだろう。
「問題は『種』がどこにあるか、だ。ざっと見た限り体の表面には付いてないようだし、体内に埋め込まれてるんじゃねーか」
「埋め込まれている、か……」
ドラゴンの体表は鱗で覆われている。レイピアで突けば一ヶ所は崩す事が出来るだろうが、レイピアの強度を考えると何度も突き崩す事が出来るとは考えにくい。針と糸しか持たないラジは崩す事すらできないだろう。
「『種』の場所を探る事は出来るのか?」
貴重な突きをやみくもに使う訳にはいかない。ビオラが訊ねると、ラジは「アブナイ橋を渡る事になるけどよ」と針でドラゴンの身体を指す。
「体のあちこちを攻撃して、その反応を探る。『種』は魔物にとっての心臓そのものだから、近い場所を攻撃すれば他とは違う反応が返ってくる。場所に見当がつけば、子犬ちゃんが自慢のレイピアで鱗を壊して、後は俺様に任せてくれれば大丈夫だ」
「……随分、簡単そうに言ってくれますね」
この巨大なドラゴンに何度も攻撃を加え、反撃を避けつつ僅かな反応の違いを探り当てる。攻撃と回避は何とかこなすとしても、観察までできる自信は無い。
「子犬ちゃんは攻撃と回避だけしてくれりゃいいよ。俺様が観察して、子犬ちゃんがヤバい時は俺様がフォローしてやる」
ラジの尊大な物言いに腹が立つが、その言葉に従うしかない。ビオラはしぶしぶ頷き、レイピアを抜いた。レイピアを壊さないように手加減をして攻撃を加えなければならない。丸まろうとする尻尾をビオラは無理矢理伸ばす。
「準備は良いかい、子犬ちゃん」
「その、子犬ちゃんって呼ぶのをいい加減にやめろ」
「じゃあ、ドラゴン倒したらやめてやるよ」
ラジが投げた針が鱗に弾かれて地面に落ちると同時に、ドラゴンは耳をつんざくような咆哮をあげた。
ビオラがドラゴンの咆哮に耳を塞いでいる間に、ドラゴンは大きな口を開けてラジに襲いかかる。ラジはそれをひょいと左に避け、すれ違いざまに顔の周辺に数本の針を投げる。針はあっけなく鱗に弾かれるが、ドラゴンの気を引くには十分な刺激だ。ビオラの存在を完全に無視して、ドラゴンはラジに向かって爪を振るう。
これはチャンスだ。ビオラは震える足を何度も叩き、レイピアを構える。剣先がふらついて定まらない。
「……軽くでいい。最も守りが薄い所を突いて、反撃をかわして、また突いて……。それでいいんだ」
ドラゴンの動きは避けきれないほど早いものではない。ビオラは己を奮い立たせ、数歩踏み込んでドラゴンの左後ろ脚を突く。深く突き立てるのではなく、鱗の表面で刃先を滑らせる。ダメージなど無いようなものだが、思いがけない方向からの攻撃は驚くと同時に不快なものだ。ドラゴンは身を翻してビオラに向かって鋭い爪を振るう。ビオラは踏み込んでドラゴンと密着する事でそれを避け、ついでに胸と腹を突く。体表を覆う鱗は驚くほど冷たく、爬虫類独特の質感に今更ながら驚く。
ドラゴンがどんな反応をしているかなど観察する暇はない。ビオラは無我夢中でドラゴンの身体を撫でるように突き、重い一撃を紙一重で避ける。鼻先を爪が通り抜ける度、跳んだ瞬間にそこを通る尻尾の棘を目の当たりにする度、ビオラの肝はひやりと冷える。一撃でもまともに食らえば立ちあがる事は出来ないだろう。じわじわと全身を浸食する恐怖に耐えながら、ビオラはドラゴンの前足も、後足も、腹も、尻尾も、翼も、全身をくまなく突いていく。
「…………!」
ラジは全身を突かれるドラゴンの様子をつぶさに観察し、ある瞬間に目を留めた。左翼の付け根を突かれた場合のみ、反撃がやや激しい。気のせいかと思ったが、何度も試行して精査すると他の部位を突かれた時の反応とは明らかに違う。
「子犬ちゃ――」
見つかった、と声をかけようとした瞬間、ビオラの死角からドラゴンの爪が襲いかかる。
「……っ!」
ビオラは身を翻して避けようとしたが、ドラゴンの爪はビオラの左肩を切り裂いて数メートル後方へ弾き飛ばす。ラジはビオラの元に駆け寄り、彼とドラゴンの間に盾のように立つ。
「意識はあるか、子犬ちゃん」
「……大、丈夫……だっ……!」
ビオラはふらつく頭を押さえて立ちあがる。左肩からはどくどくと血が流れ、見る見るうちに服が赤黒く染まっていく。
「左翼の付け根だ」
ドラゴンはこちらに向かって咆哮した後、炎のブレスを吐く。正確にラジを狙ったブレスは、ラジが糸を振るうと二手に分かれて逸れる。
「一撃、そこに向かって全力で突け。後はこの俺様に任せな」
ラジはビオラの方をちらりと見て歯を見せて笑う。耐えがたい口臭がビオラの鼻腔を突く。
「……貴様に任せるのは癪だ。でも、我儘を言ってられる状況じゃないな」
ビオラはレイピアを取り落とさないよう両手で握る。左腕を伝う血がぽたりぽたりと地面に彩りを添える。この状態だと、あと一撃突けるかどうかといったところだろう。
「来るぞ」
ビオラがそう呟いた瞬間、ドラゴンはこちらに向かって突進を始める。あの巨体の突進を受ければ五体満足ではいられない。ビオラはふらつく足で突進の進路から逃れようとする――が、その前にラジが高く右手をかざした。
ラジのかざした右手に反応するように、あちこちから青い光が瞬いた。正確には、ラジがあちこちに張り巡らせた糸が青い光を反射した輝きだ。糸はあっという間にドラゴンの身体にまとわりつき、締め上げる。身動きが取れなくなったドラゴンは不満そうな鳴き声をあげ、必死に身をよじる。
「長くは持たねえ。さっさと行け」
ラジの両手に握られた糸は手の肉に食い込み、じわりと血がにじんでいる。ビオラはレイピアを強く握りしめ、ドラゴンに向かって一気に駆け寄る。怒りを露わにしたドラゴンはビオラに「死」を感じさせるにふさわしい顔つきをしていたが、不思議と怖くはなかった。
(……不本意ではあるが……)
ラジのサポートがあるからこそ、恐怖は無いのだろう。ビオラはそれ以上深く考える事はせず、レイピアを左翼の付け根に深く突きさした。ドラゴンの悲鳴がビオラの耳を襲い、咄嗟にレイピアを抜く。
「でかした!」
ラジはドラゴンを縛る糸から手を離し、左翼の付け根、ビオラが穿った傷口に向かって糸を通した針を投げる。糸には複数本の針が通されており、全ての針が傷口からドラゴンの体内へずぶりと入りこむ。
「……終わりだ」
ラジはそう呟き、糸をピンと指先で弾く。その振動を合図として体内に入った針が松笠のように開き、ドリルのように回転を始める。針はドラゴンの体内を掻きまわし、ドラゴンは先程とは比べ物にならない悲鳴をあげる。糸から伝わる反応を元にラジは針を操り、「それ」に辿り着く。
観察眼に間違いはなかった。ラジは心の中で安堵の息を吐き、糸を強く指で弾く。針は容赦なく「種」を攻撃し、呆気なく破壊する。手ごたえを感じたラジは針を引き抜き、注意深くドラゴンの様子を観察する。
ドラゴンは悲痛な叫び声をあげ、両翼が土気色になってボロボロと崩れ落ちていく。体躯も少しずつ小さくなり、元の姿に戻ろうとしている。ほっと息を吐いたビオラはその場でへなへなと座り込む。出血量が多く、頭がふらふらする。
「――子犬ちゃん!」
「え?」
どん、と唐突に突きとばされた。左肩を地面に打ち付け、鋭い痛みが全身を駆け巡る。「何を」と身を起こして投げようとした抗議の声は、目の前の光景にかき消された。
――ドラゴンの尻尾が、ラジの腹に突き刺さっていた。
「……え?」
体躯が小さくなりつつあるとはいえ、ドラゴンの尻尾には相変わらず棘があり、それが、ラジの腹に食い込んでいる。ビオラが茫然としているうちにドラゴンはあっという間に小さくなり、一頭のトカゲに戻る。そして、ラジの腹を穿った複数の傷口から、ビオラの傷とは比べ物にならない量の血が溢れ出る。
「……最後まで油断すんな。だから、お前は子犬ちゃんなんだ」
ラジはがくりと膝を着き、両腕で傷口を覆う。袖が見る見るうちに赤く染まり、地面に赤い水たまりを作っていく。ビオラは咄嗟にラジを乱暴に背負い、飛行船に向かって走り出す。
「何故私をかばった!」
「……何でだろうなあ。俺様にも分かんねえよ」
「…………」
背中にラジの血が染みていく感触がする。早く処置をしなければ、ラジは簡単に死んでしまうだろう。それはビオラが普段願っていた事であったが、こんな形で叶っても嬉しくもなんともない。
「……こりゃ、子犬ちゃんとは違う呼び方、できねえだろうな」
「何を言っている」
ラジの声は小さく、そして震えている。ビオラは苛立ちを隠すことなく言葉にした。
「私を庇って死ぬ、なんて格好いい死に様は許さない」
「は……。そうかい」
せいぜいあがけとラジは呟き、がくりと全身の力が抜けた。気を失ったのだろう。
ルピナス達の事も気になるが、まずはこの腐れ猫をこんな所で死なせない事だ。ビオラは自分も怪我人で貧血を起こしかけている事も忘れ、飛行船へ真っすぐに向かって行った。