ハネモノ 第二十九話「決戦」
塔の内部に入ったルピナスの前には、思いもよらない光景が広がっていた。ルピナスはこの塔が島全体の中枢部だと推測し、重要な装置が塔の内部に詰め込まれていると思っていた。
なのに、ルピナス達を出迎えたのは塔の壁を沿うように登る螺旋階段だけだった。装置や柱は無く、内部は吹き抜けのようになっている。
「この上か」
ルピナスは早速螺旋階段を上ろうとしたが、「待て」とベリスがその肩を掴んで引きとめた。
「私に掴まれ。一気に行くぞ」
ベリスは翼を広げ、飛行補助の為の装置がほのかに光を宿す。
「ままま、待て待て待て! こんな所でそれを使って体力の無駄遣いしたら駄目だって!」
「この階段を駆け登るより飛んだ方が消耗はマシだろう」
「いや、ベリスちゃんは俺が抱えて登るからここは温存を――」
「うるさい! 行くぞ!」
ベリスは乱暴にルピナスの首根っこを掴み、吹き抜けの中を一気に飛びあがった。あっという間に地面が遠くに離れて行き、ベリスは天井に向けて一発の火球を撃った。火球は簡単に天井を撃ち砕き、破片がぱらぱらとルピナスとベリスの頭上に落ちる。首根っこを押さえられて状況が把握出来ないルピナスでも、ベリスが何をしたかは容易に想像がついた。
「ベリスちゃん、もしかして天井壊――ぐえっ!」
ぐん、と強く首元を引っ張られ、次の瞬間には視界が開けた。
この塔は外から見れば最上部がドームのように丸い形をしていた。ベリスの手が離れて自由になったルピナスは天井を見上げ、それが丸い形をしている事を確認した。ガラスのような物質で覆われているらしく、骨組みの間からは外の景色が見える。
広い円形の空間の片隅にいくつもの本棚が置かれ、その傍らには木製の机と椅子が置かれている。机の上には同じような装丁の粗末な冊子が何十冊も置かれていた。机や本棚とは反対側の壁際には青い光を発する装置が一台だけ置かれている。一台だけ、と言ってもそれなりに巨大なもので、ピアノを横に二台並べた程度の幅と厚みがある。その装置が何をするのかは分からないが、ルピナスはそんな事を考えるよりも先にその装置の前に立つ人物を捉えた。
すらりと伸びた長身。褐色の肌。銀の長髪。黄金の瞳。侮蔑に満ちた表情……見間違えようが無い。サシアムだ。
「随分と乱暴な登場だな」
サシアムはベリスが壊した床を指差した。この空間の広さと比べると小さなものだが、規則的に敷き詰められた石畳に現れた穴は目立つ。ベリスは床を見る事はせず、静かに剣を構えた。
「急いでいたから仕方ないだろう。君を放っておくわけにはいかないからな」
「……南の民が、南の武具を持つか」
サシアムはベリスとルピナスを交互に見て軽く笑う。
「遥か昔に生を受けた汚れし者と、その汚らわしい血を受け継いで繁栄を謳歌する者がこの私に歯向かうつもりか」
「ややこしい事言ってるんじゃねえよ」
ルピナスは短刀を抜いてベリスの横に並ぶ。
「お前はこの孤島を動かして世界を滅ぼそうとしてる。俺達はそれを止める為に来た。血とか南の民とか関係ねえよ」
「世界を救う勇者気取りか?」
「いや」
ルピナスは悟られないように足に力を込める。
「ベリスちゃんが殺されるなんて嫌だって思ってるだけだ」
短剣を構え、一気に駆けだした。
* * *
サシアムは駆け寄るルピナスに動じることなく傍に立てかけていた杖を取る。その瞬間に手元を狙って短剣を投げるが、サシアムは杖を振るって短剣を弾く。続いてルピナスはロープを投げるが、サシアムが起こした風にあおられて狙いが逸れる。
「君一人の力では無理だ」
ルピナスの横をベリスが低空飛行で通り抜けてサシアムに斬りかかるが、サシアムの杖がそれを受け止める。ぎりぎりと二つの力が拮抗し、剣にぼんやりと光が宿る。ベリスが更に力を込めて押し込むと赤銅の刀身は分離し、青白い光の刃が姿を現した。光の刃は杖をすり抜けてサシアムに肉薄するが、サシアムはより強い力で杖を振るって剣を弾く。
「このっ……!」
再度剣を振るうベリスに向かってサシアムは軽く手をかざす。それだけで暴風が吹き、自由を奪われたベリスは一気に壁に叩きつけられる。続けてその手を真横に向け、死角から二本目の短剣で一撃を加えようとしたルピナスにも暴風を浴びせる。ルピナスも同様に吹き飛ばされ、ベリスからは少し離れた位置に叩きつけられる。
「この程度か」
痛みに耐えてうずくまるルピナス達に向かってサシアムは呟いた。その声には侮蔑ではなく失望の色が見える。
「やはり、我々が至高の種族である事は間違いない。お前達のような原始人が我々に歯向かい生き延びようとするなど、おこがましい」
「……お前がどんだけ偉いのか分かんねえけどよ」
ルピナスはゆっくりと立ち上がる。強く打ち付けた全身がみしみしと悲鳴を上げる。気を抜けば右手から短剣が滑り落ちそうだ。
「本当に種族として至高なら、何でお前は一人なんだ?」
数が多い方が種として優れている、と言うわけではない。しかし、同種の者が二人いるか一人だけかの違いは大きい。
「お前が死んだら『至高の種族』は絶滅するだろ。でも、お前が見下している『原始人』はこれからも子供を作って何十年、何百年も生き続ける。『生き残って繁栄する』って意味だと、どっちが優れてるかなんてすぐ分かると思うけどな」
「……ガキの癖に頭は回るようだな」
サシアムは不快そうに眉をひそめる。
「分かっているからこそ、だ。我々よりも原始人どもが種として優れている、なんて認められるか? そんな事は有り得ない。私が死ぬよりも先に原始人どもが滅びなければならない」
「随分と身勝手な理由だな」
ベリスが剣の切っ先を向けるが、サシアムは薄ら笑いを浮かべる。
「原始人に理解してもらおうとも思わないな」
サシアムはゆっくりと両手を広げ、次の瞬間、その背に一対の黒い翼が生えた。
光を吸収するかのような黒い翼は、サシアムの背で静かに広がっている。確かめるまでも無いが、先程までサシアムの背には何もなかった。真っ先に魔法の類を疑ったが、背に翼を生やす魔法などベリスの知識には無い。
「万が一の事を考えて悪魔から授かった力……わざわざ使うまでも無いものだが、折角だ。冥土の土産にお前達に見せてやろう」
黒い翼がばさっ、と羽ばたいてサシアムの体は宙に浮く――いや、翼を用いて高く飛んだ。陽光を背にして宙に舞うその姿は天使とは対極のもののように見える。
「死ね」
黒い翼がぶるぶると震え、羽ばたきと共に黒い羽根が弾丸のように発射される。羽根の弾丸はベリスに向かって真っ直ぐに飛ぶが、剣がそれを受け止める。きん、と羽根にしては異様に硬質な音が響き、地面に落ちてからからと音を立てる。ベリスはサシアムの様子を見ながら足で羽根に触れてみる。靴越しでも分かるほどに羽根は硬い。硬さと速さを考えると、武器としては十分な殺傷力を持っているだろう。ベリスは背筋が冷えるのを感じたが、剣を強く握り締める事で気を紛らわせる。
その間にもサシアムは羽根の弾丸を複数発射するが、ベリスはそれらを全て叩き落とす。一つだけ落とし損ねた弾丸がベリスの頬をかすり、じわりと血がにじむ。
「うああっ!」
それと同時に、ルピナスの悲痛な声がベリスの耳に届く。剣で喉元を守りながらルピナスのいる方に目をやると、ルピナスの両手両足に羽の弾丸が突き刺さっており、壁と手足を乱暴に繋いでいた。磔のようにされたルピナスの足元には短剣が転がっており、先程の複数の弾丸を避けきれなかった事が分かる。
「……ルピナス……!」
ぐずぐずしていられない。ベリスは剣と飛行補助具に力を込め、翼を広げる。助走をつけて一気に飛び上がり、振りかぶってサシアムに向けて切りかかる。サシアムはすかさず剣に向かって弾丸を放ち、肩口を狙った太刀筋を曲げる。大きく空振りしたベリスの頭部めがけて再度弾丸が放たれ、ベリスは高く飛んで避ける。高所を取ったベリスは剣を持ち直して重力に任せて叩き切るように振り下ろすが、サシアムはそれを軽く横に飛んでやり過ごす。振り下ろした勢いでサシアムの下方に甘んじたベリスは体勢を整えてサシアムのいる方を確認する。
「……お前にあのガキほどの器用さがあればもう少し善戦出来ただろうに」
サシアムは哀れみの表情を浮かべ、次の瞬間には雨のような弾丸がベリスに降り注いだ。
「……っ!」
弾丸を避け、剣で防御するが到底やり過ごせる量ではない。致命傷は避けているものの、ベリスの体に見る見るうちに擦過傷が刻まれていく。弾丸の雨の中で打開策を求めて視界を巡らせていると、地面に突き刺さった羽が図形を描いている事に気づく。ベリスを中心として描かれたそれは紛う事無き魔法陣で、その効果は――
(まずい)
ベリスが図形を崩そうと地面に向かって剣を振るう直前に、最後の羽が地面に刺さる。描いた図形に沿って黒い光が瞬き、ベリスの全身から力が抜ける。入った者の体力を奪う魔法陣――それも、一流の魔術師でもあるサシアムが描いたものとなるとその効果は段違いだ。たちまち立つ事も出来なくなり、剣を取り落としてその場に倒れる。
「呆気ないものだな」
サシアムはゆっくりと羽ばたき、微笑みを浮かべて羽根の弾丸を数発ベリスに向けて放つ。
ここまでか――ベリスは覚悟を決めてきつく目を閉じる。今まで経験した事が走馬灯のように頭をよぎる。飛行船で暮らしていた期間の方が長いのに、ルピナスと出会ってからの出来事ばかりが浮かんでは消える。覚悟は決めた、とは言うものの死にたくないと言う思いはある。しかし、力を奪われた今、あがきようが無いではないか。
無様なものだ、と自嘲気味に微笑んだベリスの耳に聞きなれた足音が響く。乱暴に何かを蹴る音がして金属質の何かが転がる音がする。その次の瞬間には苦しげな声がして、ベリスの顔に何らかの液体が掛かる。
「…………?」
不審に思ったベリスが目を開けると、そこにはルピナスの後ろ姿があった。肩や腕にはベリスを襲うはずだった羽根の弾丸が刺さっており、手足からはどくどくと血が流れている。魔法陣を描いていた羽根は一部が蹴散らされており、魔法陣としての効力は失われていた。
「……ルピナス……」
「ベリスちゃんは死なせねえ」
ルピナスは肩で息をしながらベリスが落とした剣を拾う。ベリスが注いだ力はまだ残っているが、光の刀身は先程と比べると随分と小さい。
「空も飛べない原始人が、その剣で何が出来る」
サシアムが高度を保ったままルピナスの姿をせせら笑う。無傷で宙に舞うサシアムと、傷だらけで立つルピナスの差は歴然としている。
――しかし。
ルピナスは剣を強く握りしめる。一太刀でも浴びせればサシアムの意識を奪う事が出来る。そう、たったの一太刀でいい。
「……おい、聞こえるか」
剣に静かに語りかける。剣は何も答えず、静かに輝きを放つ。
「ベリスちゃんにしか使えないって言うけど、俺にも力を貸してくれ」
剣に埋められた宝玉に手を触れる。べったりと血がついてしまうが、それでも輝きは分かる。
「代わりに俺の命でも何でもやるから、サシアムをぶっ倒すだけの力をくれ」
ベリスちゃんが笑って過ごせる未来を守りたいんだ、と柄にもなく格好をつける。少しの間剣は沈黙していたが、ルピナスの問いに応えるかのようにひときわ強い輝きを放った。
目も眩むほどの閃光が宝玉から放たれ、視界が白く染まる。
「……っ」
ぱちぱちと瞬きをして視界を取り戻す。ルピナスの手の中で剣の柄が小刻みに振動し、その先から延びる刃は途方も無い大きさに成長していた――そう、空を飛ぶサシアムにも届き得るほどの大きさに。
「なんだ……これは……!」
目を見開くサシアムをよそに、ルピナスは剣を振りあげる。刃は天井をも貫き、ガラスがびりびりと震えて砕け散る。破片となったガラスがサシアムを襲い、隙が現れる。
今がチャンスだ――剣を振りおろそうとしたルピナスの手に、ベリスがそっと手を重ねる。
「私が笑って過ごせる未来を守りたいのなら、命を投げようとしない事だな。私も相応の負担を背負おう」
ルピナスとベリスは目線を交錯させ、同時に微笑んだ。
「――ああ!」
二人で剣を握りしめ、青白く輝く刀身をサシアムに向けて一気に振り下ろす。ガラスを振り払ったサシアムの眼前に刀身が迫り、避けきれない事……つまり、敗北がサシアムに突き付けられる。
「……く、くそ……くそおおおおおおおおお!」
この私が! 原始人如きに敗れるだと! 有り得ない……有り得ない……! 嘘だ!
サシアムの声にならない叫びは、刀身に呑みこまれた。
* * *
二人が持つ剣はふっと光を失い、ばらばらになった赤銅の刀身がからからと乾いた音を立てて地面に落ちる。柄に埋め込まれた宝玉にもひびが入っている。
「……終わった……」
二人の前にはサシアムが倒れており、黒い翼は跡形も無く消えていた。あちこちに突き刺さっていた羽根も一つ残らず消え失せており、穿たれた穴だけがそこに残されている。
「……ベリスちゃん……」
無事でよかった、と呟いてルピナスの身体からふっと力が抜ける。ベリスは床に倒れそうになるルピナスの身体を抱きとめて状態を確認する。羽根によってつけられた傷から血が流れ出しているが、意識を失っているだけで死んではいない。
サシアムが意識を失えば都市機能が停止して孤島が墜落するのではないか。そんな危惧も抱いていたが、どうやら気絶程度では都市機能は止まらないらしい。南の都市がベリスが生きてさえいれば動く事を考えるとそれも当然の事かも知れない。
ベリスはルピナスの身体を片手でなんとか支え、開いた片手でサシアムの身体を持ちあげる。戦闘で疲弊した身体にはとてつもない重労働だが、ベリスしか動ける者がいない為仕方がない。
ばさっ、と翼を広げてなけなしの力を込める。飛行補助具にはめられた宝玉が淡く輝き、二人を抱えてベリスは高く飛んだ。
ガラスが砕けて吹きさらしになった天井から外に飛び出し、飛行船に向けて最短距離を飛ぶ。一人で飛ぶ時ですらそれなりに疲れると言うのに、二人も抱えて飛ぶとその負担は桁違いだ。ベリスは見る見るうちに力が削がれ、飛行船の姿を捕える頃には意識は朦朧とし始めていた。ぼやけ始める視界の中で、飛行船の前に佇む灰色の影に気付く。
ベリスは徐々に高度を下げ、地面に着地する――前に羽ばたくだけの力を失って墜落するように転がり落ちる。
「お嬢様!」
聞きなれたビオラの声に、ベリスは微笑みを浮かべる。
「やったぞ」
ひとり言のような囁きがビオラの耳に届いたかどうかは分からない。届かなくても良い。この状況を見れば戦いに勝った事は分かってくれるだろう。緊張の糸が切れたベリスは、ふっと意識を失った。