ハネモノ 第八話「決断」
第十七代王女、カモミール・マトリカリア――
その言葉の意味を理解した時、辺りはしんと静まった。
「……お、おう、じょ……?」
ひきつった笑みを浮かべるルピナスの横ではビオラが目を見開いており、ベリスは「ふうん」と頷いていた。
「び、びび、ビオラは執事のくせに分かんなかったのかよ」
「わ、分かるわけないでしょう。私は王室仕えの身ですが、お嬢様の身の回りのお世話をするため十五年間飛行船の中で暮らしてきたんですよ!」
「何でビオラがキレ気味なんだよ!」
「二人とも落ち着け。カミルが王女だった、それだけの事だろう」
「それだけの」「事って……」
事も無げにそうたしなめるベリスに、ルピナスとビオラは揃ってため息をついた。
「そう、それだけの事だ」
カモミールは既にカツラと帽子を被り直しており、元の少年のような姿に戻っていた。
「……カミルちゃんが王女なら、何でこんな所にいるんだよ」
「ルピナスさん、王女に対してその物言いはないでしょう」
ビオラがむっと顔をしかめたが、カミルは「いいんだ」と笑顔を見せた。
「今の私はカミルだ。王女カモミールではない。……それで、何でこんな所にいるか、だな」
カミルは視線を動かして高くそびえる城に目をやった。
「あんな所にいては市井の生活を詳しく知ることができないからな。時々城を抜け出して人々の暮らしを観察している」
「無断で、ですか?」
渋い顔をするビオラに対し、カミルは少し怒ったような表情で「そうだ」と返した。
「特に魔物がまた現れている今の状況だからこそ、人々の状況や思いを知ることが大事だと言ったのに、父上も家臣も外に出ることを許してくれない」
「それはそうでしょう。万が一王女が魔物に襲われたらどうするんですか」
「町の守りは固めている。魔物が入り込む可能性は一つもないだろう!」
カミルはムキになって大声を出した。ビオラは軽く耳を押さえつつ、眉間にしわを寄せてカミルを睨んだ。
「貴方は十五年前の事件を体験していないからそんな事が言えるんですよ」
十五年前に魔物が現れた時、この町にも侵攻はあった。町にいたビオラは魔物と相対した事もあり、魔物によって人が殺される場面も見た事もある。当時十歳だったビオラには何の力もなく、ただ魔物から逃げ惑う事しかできなかった。
「本格的に魔物が襲いかかれば、この程度の守りは簡単に突破されますよ」
腕に覚えがあればある程度対応できるかもしれないが、それでも群れで来られると一般人にはとても対抗できるものではない。
「あの時も、特務隊がいなければ……この町もなにもかもが全滅していたのかもしれないんですよ」
「…………」
「……特務隊?」
押し黙るカミルの横からルピナスが割って入った。
「特別任務隊、の略称です。国の一般兵が請け負えない仕事を一手に引き受ける何でも屋のような部隊ですね」
「何でも屋、ねえ……」
つまり表沙汰にはしたくない汚れ仕事を引き受けることもあるのだろう。特務隊という名は初めて聞いたが、仕事の内容は大方予想できた。
「十五年前に特務隊が何かしたのか?」
ベリスが首を傾げると、ビオラは「ええ」と頷いた。
「各地に赴いて魔物の傾向や弱点を調査したり、何より魔物を生み出した犯人を捜し出して捕縛したんですよ」
「犯人の捕縛? それ、特務隊の誰がやったんだよ」
ルピナスは眉間に皺を寄せて問いかけた。
「聞いた話では特務隊の隊長が捕まえたらしいのですが……特務隊の名簿に、隊長という役職の者は、いないんですよ」
「いない? なんでだよ」
「何故と言われましても……特務隊に関する情報は名簿しか公開されていませんし、私のような平執事はそれ以上の事は知らされていませんから答えようがありません」
「いるはずのない隊長が犯人捕まえたって言うのかよ」
そう呟くルピナスの言葉にはどこか棘があり、ビオラはその様子に疑問を覚えた。
「どうして貴方がそこまで犯人を捕らえた者に固執するんですか」
「ルピナス、何か様子がおかしいぞ」
「……え、あ、そう? ちょっと引っかかっただけだし、別に何でもねえよ」
ルピナスはあわててかぶりを振り、カミルの方を向いた。
「それよりさ、カミルちゃんは城に戻った方がいいんじゃねえの?」
「そうだな。ビオラの話しぶりからすると町中であっても安全とは言い切れない」
ベリスもルピナスの意見に同調するが、カミルは首を横に振った。
「二人の言う通り城の方が安全かもしれないが、まだもう少し町を観察する」
カミルは音もなく立ち上がり、服に付いた汚れを軽くはたいて落とした。
「私の目で町のおおよその人口、及び避難場所の確認をしてきたいからな」
「……確認が済んだら早めに城に戻るように」
ビオラが釘を差すと、カミルは「分かっている」と苦笑した。
「では、そろそろ失礼する」
カミルは三人に対して頭を下げ、颯爽とした足取りでその場を後にした。
* * *
「……さて、そろそろ城に向かいましょうか」
ビオラがそう呼びかけると、飲み終えたジュースのコップを手持ちぶさたにいじっていたルピナスとベリスは黙って立ち上がった。
「城か。あんな大きな建物に行くのは初めてだ」
どこか嬉々とした様子のベリスに対し、ルピナスは不満げな表情でビオラを睨んでいた。
「これでベリスちゃんとの旅も終わりかあ」
ベリスをリヒダ・ナミトまで送り届ける。それが旅の目的だった。砂漠の町クバサからトイス港に向かい、船に乗ってリヒダ・ナミトに行く――予定だったがミミナ村に流れ着き、そこからリヒダ・ナミトへたどり着いた。思い返してみれば短い旅路であったが、物心ついた頃からずっとクバサで暮らしていたルピナスにとっては新鮮な経験だった。
「そう言えばそうだな。世話になったな、ルピナス」
一度城に行ってしまえば、そう言って頭を下げるベリスとももう会うことはない。そう思うと、ルピナスの胸は締め付けられるように痛んだ。
「……さあ、行きますよ」
ビオラが先導して歩きだしたが、その足取りはルピナスの目から見ても重かった。
城は近くで見上げると首が痛くなるほど大きなものだった。城の周りには堀が張り巡らされ、底が見えるほどきれいな水がたたえられていた。堀には一本だけ橋が架けられており、重厚な造りの正門に繋がっていた。
「凄いな」
そう呟くベリスの横で、ルピナスはぽかんと口を開けていた。近くで見ると城の立派さがよく感じられ、それと同時にただの盗賊である自分がこの場にいてはいけないような気がした。
「さあ、行きますよ」
頑丈な造りの橋の上を歩き、正門に着くと二人の門番が「止まれ」と威圧的な声を出した。ビオラはそれに動じることなく、懐から何かの紋章を取り出し、それを見せた。
「飛行船の者です。担当者を呼んで下さい」
それだけ言うと、門番の一人は「はっ」と敬礼をして城の中へと入っていった。残った一人の門番が厳しい顔つきで三人を睨む中、ルピナスはビオラに小声で話しかけた。
「担当者、ってのが来たらベリスちゃんは城に入れられて、最終的に飛行船に戻るんだよな」
ビオラは返事こそしなかったものの、耳をぴくりと動かした。
「ビオラは本当にそれでいいと思ってんのかよ。ベリスちゃんの人生がここで決まるんだぞ」
ビオラは何も答えず、正門をじっと見ていた。その瞳はかすかに震えていたが、ルピナスの方もベリスの方も見ようとはしていない。
「……もういい!」
ルピナスは痺れを切らし、ベリスの手を強引に掴んでその場から走り去った。
「ル、ルピナス?」
ベリスは戸惑ったような声を出していたが、ルピナスの手を振り払おうとせずに共に走り去っていった。門番が槍を構えて二人を追いかけようとしたが、ビオラがそれを手で制した。
「…………」
ビオラは苦悶の表情を浮かべながら、絞り出すように言葉を発した。
「……二人は、私に任せて下さい……。貴方は、この門を守るという仕事があるでしょう」
「……それはそうですが……」
あの二人が重要人物であることは門番にも分かっていた。門を守る仕事もあるが、あの二人は恐らく捕らえなければならない。
「……私が捕まえてきます。二人の隠れそうな所は見当がつきますので」
ビオラはそれだけ言うと、踵を返して町中へ向かっていった。
町中は相変わらず祭りの華やいだ空気に満ちていた。ビオラは辺りをきょろきょろと見回し、露店と露店の間にある狭い路地を見つけた。ビオラは迷うことなくその路地に入り、嗅覚を働かせた。人の血が入っているとは言え、ビオラの中の犬の血は濃い。それだけ嗅覚も鋭く、長い間共に生活をしてきたベリスの匂いを嗅ぎ分けることなど造作もなかった。
「…………」
匂いの痕跡を辿り、複雑に入り組んだ路地裏を歩いていく。程なく大きな木箱の陰に隠れる二人の姿を見つけた。
「……私から逃げられるとでもお思いですか」
「……これだから犬の獣人って嫌なんだよ」
ルピナスはむくりと立ち上がり、その辺りで拾ったようなぼろぼろの角材を構えた。
「ベリスちゃんを城に連れていくって言うなら、例えビオラが相手でも手加減しねえぞ」
「……ルピナス?」
真剣な様子のルピナスの後ろ姿を眺めながら、ベリスは不思議そうな表情をした。
「私を城に連れていくと言っていたのに、何故そんなことを言うんだ」
「ベリスちゃんがまた飛行船に戻って一人ぼっちになるのが嫌だからに決まってんだろ」
男ならともかく、女の子が一人きりで人生を過ごすなんて勿体ない。
「ベリスちゃんの笑顔を見るためなら、俺は罵られても踏まれても蔑まれても殴られても、ビオラと戦っても構わない」
辺りにピリピリとした空気が張りつめたが、ビオラは微笑みを浮かべて両手を軽く挙げた。
「ルピナスさんは何か勘違いをしているようですね」
「は?」
「私はあなた方を連れ戻しに来たわけではありませんよ」
「…………」
ルピナスは訝しげな表情をしながらも構えを解いた。
「……私は、王室仕えの執事です。しかし、お嬢様がこのまま飛行船に戻る事には賛成できません」
王室仕えの執事として失格の行動なのかもしれない。しかし、ビオラの頭には港にてラジから言われた言葉がぐるぐると回っていた。
――子犬ちゃんが仕えてるのは、本当に『王室』なのかねえ?
そうだ、と答えることができなかった。自分が王室に仕えているのか、ベリスに仕えているのか、それ以外の何かに仕えているのか……自分の心は、曖昧なものだった。
「……執事としての芯を見つけるまでは、私は自分自身の心に従って行動します」
「ふうん……よく分からないが、ビオラもついてきてくれるのはありがたい」
ベリスはビオラに対して手を差しだし、ビオラは少々気後れしながらもその手を握った。
「あれ、ベリスちゃん。俺には握手はないの?」
「必要ないだろう」
「……そんなぞんざいな扱いも……いいな」
ベリスのつんとした態度にルピナスは鼻息を荒くした。
「……で、これからどこに行くのかは決まっているんですか?」
至極当然のビオラの問いに、ルピナスとベリスは揃って首を横に振った。
「全然」「全く」
「だろうと思いましたよ」
ビオラは「手がかりは一つあります」と懐から小さな紙を取りだして広げた。それは精緻な世界地図で、地名は全く描かれていないものの、複雑な図形がそこにあった。
「これは飛行船の飛行ルートを記した地図です。この図形、何か心当たりはありませんか」
「……魔法陣?」
ベリスがそう呟きながら首を傾げた。
「そうです。しかし一般の書物には載っていない非常に高等な魔法陣で、私にもその効果はわかりません」
「そんじゃ、詳しい奴に話を聞きに行けばいいのか」
ルピナスがぽんと手を打つと、ビオラも「そういう事です」と頷いた。
「リヒダ・ナミトから南西に進んだところにリーモ村という村があります。あの村では魔法について詳しい研究がされているので、そこに行けば恐らくは……」
「分かった。では、早速リーモ村に向かおう」
ベリスは先導して道を歩きだしたが、二人が慌ててそれを引き留めた。
「ベリスちゃん、町の出口はそっちじゃなくてこっち」
* * *
「ビオラが城を訪れた?」
天井が高く広々とした部屋で、よく通る男の声が響いた。四十代ほどの男の頭には王冠があり、彼がこの国の王であることを示していた。
「はっ」
門番の一人は深くひざまずき、そのビオラが同行人を連れ戻すと言って城を離れたきり戻ってこない事も報告した。
「ふむ……」
王は顎に手を当てて何かを考えていたが、手をひらひらと振って「報告ご苦労。下がれ」と門番を部屋から出した。
「……恐れていたことが起こったか」
王はすぐ横に立っていた側近に対し小声で指示を出した。側近は無言で頷き「それと報告する事が」と手帳をぱらぱらとめくった。
「飛行船の調査隊から伝書鳩で臨時報告がありました」
「何だ」
「クバサ北部に不時着した飛行船ですが、修理に当たって一つ問題、というか妙な事が起こってまして」
「妙な事……?」
王が首を傾げると、側近は少し気まずそうに言葉を絞り出した。
「調査隊が到着する前から、コデマリと名乗るトカゲの獣人の少年が飛行船の修理に取りかかっておりまして」
「ふむ」
「しかもその腕前が、鳥の獣人で編成された調査隊の面々よりも遙かに良いとの報告が」
「……ふうむ……」
「少年に悪意はなく、飛行船を無事修理できたら技師として雇ってくれないかと要求しているようです」
「…………」
王は険しい顔をして何かを考えていたが、こくりと頷いた。
「調査隊はそのコデマリという少年を見張りつつ補佐をしてやれ。修理が終わり次第その少年を連れて飛行船に乗って帰還するよう伝えろ」
「はっ」
側近は手帳に素早くメモを取り、指示された仕事をこなすべく足早に部屋を後にしようとしたが、その前に王が側近を呼び止めた。
「飛行船の件も重要だが、何よりビオラとベリスの捕縛の手配を怠るな」
「はっ。しかし、捕縛の手配については少々お時間を頂くことになるかもしれません」
「分かっている。しかし出来る限り早くしろ」
王の言葉に側近は深く頭を下げ、部屋を後にした。
「……十五年前を思い出すな……」
部屋に残された王は、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。当時、彼はまだ王位を継承していなかったが、当時の王――自分の父と共に様々な仕事をこなした。その中でも最も大きな功績を残した仕事を思い出し、王は一人ため息をついた。
「やはり、特務隊の力を借りるより方法はないのか……」
兵はリヒダ・ナミトの防衛や魔物の駆逐で手一杯で、ビオラとベリスの捕縛に使える余裕はない。それどころか、今回出現している魔物は前回よりも強く、特務隊の隊員の大半も兵と同じような仕事に駆られている。特務隊の中でも動かせる駒は片手で数えられるほどしかいない。
「……気乗りはしないし、時間もかかるものなのだが仕方あるまい」
王は特務隊の隊員がまとめられた名簿を眺めながら、ため息をついた。