ハネモノ 第九話「憧れ」

 太陽の光もろくに通さない、鬱蒼とした森が続いていた。ビオラの先導でリヒダ・ナミトから出発して歩き、日が傾き始める前には森に辿り着いた。
「多分、日が暮れる頃にはリーモ村に着くでしょう」
 とビオラは言った。その手には地図とコンパスがあり、少し歩く度に距離と方角を入念に確かめていた。そんな様子から、ビオラにとって不慣れな土地なのだろうという事はルピナスにも分かった。それと同時に、道を間違えていないかどうか執拗に気にするビオラの様子は見ていて面白いものだった。
「焦らなくてもいいぞ」
 見かねたベリスがそう声をかけたが、ビオラは「いえ!」と勢いよく首を振った。
「このような場でお嬢様に野宿をさせるわけには参りませんから!」
「……野宿って何だ?」
 ベリスが首を傾げるとルピナスはすぐさま間に入り込む。
「路上で一夜を共に過ごす事。あっ一夜を共に、って言ってもそういう意味じゃなくて」
「そういう意味って……どういう意味だ?」
「ええと、つまり、年頃の男女が――」
 ルピナスが慎重に言葉を選んでいると、その鼻先にレイピアが突きつけられた。
「それ以上言ったら刺しますよ」
「すいませんでした」
 ビオラの剣幕に押されて謝ると、レイピアはあっさりと鞘に戻された。
「お嬢様、世の中には知らなくていい事も沢山あるんですよ」
 だから気にせず先に進みましょう、とビオラは促した。ベリスは腑に落ちない様子ながらも頷いた。
「……知っておいたほうがいいと思うんだけどなあ」
 ルピナスはぽりぽりと頭を掻き、二人の後に続いた。

 日が傾くにつれて森は静かに暗くなっていく。おそらく今は夕暮れ時なのだろうが、差し込んでくる陽光はわずかなもので、夜といっても差支えが無いほど辺りは暗い。今の時間帯でこれなのだから、日が暮れると完全な暗闇に包まれて何も見えなくなるだろう。
「ビオラ、この道で本当に大丈夫なのかよ」
 森の中を微かな風が通り抜け、葉がかさかさと音を立てる。不安を煽るような音に合わせてどこからか烏が耳障りな鳴き声をあげる。
「ええ、この道で大丈夫……なはず……です」
 頼りない言葉にルピナスは思わずため息をついた。
「今日はもうここらで泊まった方がいいんじゃねえの」
「いえ、もう少しで到着するはずですし、こんなところでお嬢様に野宿を強いるのは……」
 そう言いながらビオラは前方に注意を向けた。ベリスは魔法で灯りをともして二人の事などお構いなしに先に進んでいた。道を照らす程度の簡単な魔法とはいえ、歩きながら継続的に使い続けるという技はなかなか出来るものではない。ベリスの魔法の才はやはり抜きん出ているとルピナスが改めて思っていると、ベリスの足が不意に止まった。道の先にあるものを注意深く見て、ベリスは少し嬉しそうな顔で振り向いた。
「灯りがあるぞ」

 * * *

 ベリスが見つけた灯りは微かなものだったが、近づくにつれてその灯りは確かなものになっていった。どうやら灯りは森の中に設置された外灯らしく、等間隔で灯りは続いていた。
「これも魔法でやってるんですかね」
 ビオラは外灯をじろじろと眺めて呟いた。ルピナスもつられて外灯を観察する。木の枝からぶら下げられた小さな木箱の隙間から淡い光が漏れている。木箱の中身は見えないが、燃料が入っているとはとても思えない。ビオラの言う通り、魔法で動いているのだろう。
「見えてきた」
 ベリスの呟きに前を向くと、外灯とは違う明かりが行く先に見えた。

 リーモ村はとても小さな村だった。等間隔で建つ民家の件数は少ないが、どれもが木造のもので不思議な温かさを持っている。民家から漏れる明かりがそれぞれの畑に育つ野菜をほのかに照らしている。村の中にも外灯は設置されており、森の中よりもはるかに辺りの状況が把握しやすい。
「でっかい建物もあるなあ」
 民家の並びよりも少し先、おそらく村の中央に位置する場所にその建物はあった。大きいといっても周りの民家と比べると大きいだけで、リヒダ・ナミトの城に比べると小さなものだ。それでもその木造の建物が放つ雰囲気はどこか厳かで、ルピナスの背筋は自然と伸びた。
「あれは恐らく図書館でしょうね」
「じゃあ、あそこで魔法陣について調べたらいいのか?」
 恐ろしく面倒な作業になりそうだなと顔をしかめたが、ビオラは首を振った。
「あの図書館にあるのは魔法に関する非常に高度な学術書です。私達が読んでも意味を理解する事は出来ません」
「じゃあこの村に住んでる奴に話を聞くのか?」
 ビオラは頷き、ベリスは辺りをきょろきょろと見回した。辺りにちらほらと人の姿はあるが、ルピナスから見ても魔法に詳しい学者には見えない。そう思っている間にもベリスはたまたま近くにいた村人に近づいた。
「魔法陣について詳しい奴はいるか?」
 挨拶も礼儀もない口ぶりだったが、村人は「ああ、お客さんとは珍しい」と笑顔を浮かべた。
「魔法陣についてなら、サシアム先生が詳しいよ。ほら、あそこの――」
「えっ、あああ、あのサシアム様ですか!」
 あそこの家だ、と指差すよりも先にビオラがベリスと村人の間に割り込んだ。その声は裏返って動転しており、村人の顔と指差そうとした家を交互にせわしなく見ている。千切れんばかりに尻尾を振っている事から、悪い事ではないのだろう。
「あ、あんたが言ってるサシアム様かどうかは分かんねえけど、あの家に住んでるのはサシアム先生だよ」
「サシアム様がこの村にいらっしゃるなんて! ああっどうしよう心の準備が! 何を話したら良いんでしょうそういえばお土産もなしに突然訊ねるのも」
「落ち着けよ」
 ルピナスが足元の石を拾って投げつけるとビオラは「落ち着いていられますか!」と興奮した面持ちで振り向いた。が、ルピナスとベリスの呆れたような表情を見て「あっ……すみません」呟いて興奮を収めた。
「サシアム様は私が昔から憧れていた方ですので、つい」
 そう照れくさそうに呟きながらも、ビオラの尻尾は振れ続けている。
「ビオラがそいつに憧れてるなら、そこから話を切り出していけばいいか」
 知りたい事を教えてくれと突然訪れるより、憧れていて話をしたいと思っていたと言って話しに入っていった方が心証は良いだろう。ルピナスはそんな打算を働かせた。

 サシアムの家は図書館から最も近い位置にあった。他の民家と比べても何ら変わりの無い造りで、カーテン越しに淡い光が漏れている。庭には赤紫の花が植えられているが、ルピナスが見たことも無い花だった。菊に近い形状だが花びらがそれよりも刺々しく、茎や葉も触れれば怪我をしそうな程の刺がある。
「あああ……この奥に……サシアム様が……!」
 花に気を取られているルピナスの傍らで、ビオラは年頃の乙女のようにもじもじしていた。ルピナスやベリスを楽に見下ろせるほどの巨漢がそんな動きをしているのは、見ていて楽しいものではない。ベリスが「もじもじするな」とビオラの脚を蹴ると「すみません」と大人しくなった。
「じゃあ行くか」
 ルピナスは扉の前に立ち、深く息を吸った。ビオラが「あのすいませんもうちょっと待ってください心の準備が」と早口で呟いたが、それを無視して扉をノックした。

「おや、客とは珍しい」
 扉を開けて姿を現したのは、銀の長髪に褐色の肌を持つ青年だった。ビオラほどではないが背は高く、尖った耳をぴんと立ててルピナス達の様子を品定めするかのように眺めた。
「あああ、あの、サシアム様」
 ビオラの声は緊張のあまり上ずっていた。サシアムはそんなビオラの様子を訝しげに見ていたが、すぐに合点がいった様子で「ああ」と頷いた。
「ビオラ君か。随分と大きくなったものだから分からなかった」
「あ、あの時は、まだ私も子供でしたから」
「なんだ、知り合いだったのかよ」
 だったら話が早い、とルピナスは本題に入ろうとしたが、サシアムはそれを手で制した。
「わざわざここまで来たということは、余程重要な話なのだろう? 家の中で聞こう」

 * * *

 家の中は思ったよりも広く、いくつもの本棚が置かれていた。どの本棚にも難しそうな題名の本がぎっしりと詰め込まれている。机の上にも何冊かの本が乱雑に置かれており、その隙間を埋めるように紙やペンが散乱している。机を囲むように何台かのソファがあり、その内の一つに見たことのある男が寝転んでいた。
「げ」
 その姿を認めたビオラの表情が一気に苦いものになる。男もこちらに気づいたようで、大きな欠伸をしてぴらぴらと手を振った。
「何でおっさんがこんなとこにいるんだ」
 ルピナスが呆れたように言うと、男――もとい、ラジはむっと顔をしかめた。
「俺様だって教養を深めたいときがあんの」
「教養を深めたところで貴方の下賎さは消えませんよ」
「子犬ちゃんは相変わらずうっせえなあ」
 ラジは頭を掻き、手元にあった本を閉じて机の上に放り投げた。机の上に散乱する本は魔法に関するものではなく、辞典の類が多かった。
「……酒と、煙草か?」
 辞典の表紙をじっと眺めていたベリスが呟くと、ラジは「大当たり」と意外そうに目を丸くした。確かにアルコールについてまとめたものや、煙草をはじめとした嗜好品についてまとめた本が多い。
「お子ちゃまなのによく分かったな」
「貴様、お嬢様に対して何と言う口の利き方を!」
 ビオラは大股で近づいてラジの胸倉を掴もうとしたが、サシアムが「まあまあ」と間に割って入った。
「喧嘩をする為にここまで来たわけじゃないのだろう。落ち着きなさい」
「…………」
 サシアムの言葉は効果覿面だった。ビオラは怒りのこもった表情でラジを睨み付けていたが、荒く鼻息を吐いて空いたソファに腰掛けた。ルピナスとベリスも続いてビオラの隣に腰掛け、サシアムはどこからか持ってきた木製の椅子に腰掛けた。どう見てもこれから話を始める雰囲気だというのに、ラジはその場を動こうとしない。
「おい、おっさん」
 ルピナスが咎めるように言ってもラジは悠々とした調子で本のページを繰った。
「お前らの話とか全然興味ねえからお構いなく」
「貴方は良くても私達にとって目障りなんですけど」
「だから、喧嘩は止めなさい。それとも他人に聞かれて困る話なのか?」
 ベリスが首を振ると、サシアムは「ならば無理に追い出さなくてもいいだろう」と有無を言わせない口調で言った。

「話に入る前に、まず自己紹介をしようか」
 サシアムは自身の胸に手を当てて「私の名前はサシアムだ」とルピナスとベリスの目を見て言った。
「かつてはビオラ君と同じく執事をしていたが、現在はしがない学者をしている」
「サシアム様はそれはもう優秀な執事で、私を含めた全員の目標だったんですよ」
「じゃあ、何故今は学者をしているんだ」
 ベリスの至極当然な疑問にサシアムは苦笑した。
「恥ずかしながら、十五年前に怪我を負ってね。仕事を続けられなくなった」
「ふうん……」
「辞意を伝える前に国王から「飛行船に乗り、同乗者の世話をする」という仕事を任されたが、当時の体調を考えると私には出来なかった。だから、私の代わりとしてビオラ君を指名した」
「……それって、つまり……」
「ビオラ君の口調から察するに、君が件の同乗者なのだろう? 確か、名前はベリスと言ったか」
 サシアムの指摘に対し、ベリスは素直に頷いた。
「それで、君は?」
 サシアムはルピナスのほうに目を向けてきた。ルピナスは自分の名前を告げた。するとサシアムは「ルピナス?」と意外そうに目を見開いた。
「ひょっとして、父親の名前はサルビアか?」
「サルビア……!」
 サシアムの言葉に対し、ルピナスではなくビオラが声を発した。ルピナスが何も言わずにいると、ビオラの視線はサシアムとルピナスの間を行ったり来たりしていた。
「……サルビアって、誰だ?」
 ベリスの問いかけに、サシアムはあっさりと答える。

「サルビアは十五年前に全世界に魔物を発生させた張本人だ」

 当時の事を思い出したのだろう、ビオラがぎゅっと目を閉じた。
「サルビアには妻、そしてルピナスという名の息子がいる事は風の噂で聞いていた。……母親は健在か?」
 ルピナスは何も言わずにいた。サシアムは何かを察して「そうか」とだけ短く言った。
「……貴方が、あの……息子ですか……」
 ビオラが苦しそうに言葉を吐く。ルピナスはそちらの方を見ずに「だとしたらどうする?」と呟いた。
「罵るか。殴るか。蹴るか。避けるか。レイピアで刺すか。仇だと言って殺すか」
「……ルピナス?」
 ベリスが顔を覗き込んできたが、ルピナスはきつく睨み返した。
「ベリスちゃんだって、人殺しの血が流れてる奴なんか嫌いなんだろ。そんな事無い、って言っても腹の中じゃもう俺に近づくのはやめとこうって思ってるんだろ」
「…………」
「蛙の子は蛙だって言いたいんだろ。皆と同じように、いつか俺も親父と同じように人殺しすると思ってんだろ」
「ルピナス」
 憎憎しげに言葉を吐くルピナスをベリスはじっと見た。そして、その頬をぱちんと平手で打った。
「勝手に私の思いを決め付けるな。不快だ」
「…………」
「私は君が悪人だとも、人殺しだとも思っていない。今まで君が多くの人にそう思われたからといって、それが私の思いだと決め付けるのは考えが浅いにも程がある」
 ルピナスは少しの間黙っていたが、ベリスの目を見て微かに口角を上げて笑った。
「ベリスちゃんの本気の平手打ちとか、ご褒美だ」

「……すまない。聞いてはいけない事だったようだな」
 サシアムは頭を下げたが、ルピナスはそれに対して鷹揚に手を振った。
「いや、いいよ。どうせいつかバレる事だったし」
「……貴方がサルビアの息子とは意外でした。だからといって、貴方を嫌う理由にはなりません」
 ビオラははあ、とため息をついた。
「元から貴方の事は、お嬢様に近づく害虫として好ましく思っていませんでしたし」
「そりゃどーも」
 ビオラの嫌味ったらしい言い方にルピナスは苦笑した。話を聞いていたであろうラジは、特に何も言わずに熱心に本に目を通していた。
「自己紹介はこの辺でいいだろ。そろそろ話に入ってもいいか?」
 空気が落ち着いた頃を見計らってルピナスは切り出した。サシアムは「どうぞ」と頷いた。

 * * *

「なるほど。話は分かった」
 サシアムは飛行船のルートを示した地図を眺め、眉間に皺を作った。
「この魔法陣がどういった効果を持つものなのかも分かる」
「じゃあ――」
 教えてくれ、と言う前にサシアムは人差し指を突きつけた。
「いくら遥々ここまで来てくれたとは言え、無償で情報提供は出来ない。一つ、手伝って欲しいことがある」
「手伝って欲しい事?」
 ベリスが鸚鵡返しに訊ねる。
「魔物退治だ。最近、この村の周りにも現れてきてね。被害は農作物だけで怪我人はまだ出ていないが、時間の問題だ」
 退治を手伝ってくれたら情報を与えよう、とサシアムは続けた。ルピナスはそれ程迷わずに頷いた。
「分かった。俺らで出来る事なら何だってやってやるよ」
「頼もしい」
 サシアムは手を差し出したが、ルピナスはその手を握らずに軽くタッチした。
「野郎の手なんか握ったって嬉しくねえよ。どうせ握るならベリスちゃんの柔らかい手の方が」
「君は本当に似たような事しか言わないな」
「いやあ、だってベリスちゃんの手は本当にいつまでも触ってたいんだって」
 そう言いながらルピナスはベリスの手を握ろうとしたが、握ろうとした手はぺちんと叩かれた。

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