霧の涙 第十一話「奪還 -affection-」
「やあやあ、会いたかったよ双子ちゃん!」
森の中から唐突に現れたその男は、人畜無害な微笑みを浮かべながらオーロとネーロに向かって大きく両手を広げた。妙に親しげな口調だが、オーロとネーロはその男と会った覚えはなかった。
「お前は、誰だ?」
オーロが警戒の表情を浮かべながら問うと、男は笑顔のまま「ああ、そうかそうか!」と一人で何かを納得していた。
「今までずっとお前達を探していたし、亡霊から詳しい話を聞いてたから初対面じゃないような気になってた。ごめんねえ、初めまして」
男の口から飛び出した「亡霊」の単語にオーロとネーロは反射的に鎌と鎖を取り出した。
「……もう一回聞くけど、お前は、誰だ?」
「それにしてもジョーカーは駄目な子だねえ。単独行動は駄目だってあれほどカイゼルさんから言われていたのに、勝手にどこかに行っちゃうなんて」
男は二人の質問を無視して辺りを見回してくすくすと笑った。カイゼルとリタが森に入ってすぐに、ジョーカーは鍵を使ってどこかに消えていた。オーロとネーロはどこに行くのか問い、勝手な行動をするなと咎めたのだが「ちょっとお偉いさんに現状を報告しなきゃ、お尻ペンペンされるんだよー」とふざけた言い訳をして二人が止める間もなくジョーカーは鍵を使って姿を消した。
男がそれを知っているということは、一行が尾行されていたことは間違いない。それに気付けなかった自分自身を情けなく思いながら、オーロは声を荒らげた。
「質問に答えろよ! お前、誰だよ」
「せっかちな子だねえ。カルシウムは摂ってる?」
男は馴れ馴れしい声音を出しながら近づこうとしてきたが、オーロは鎌を男に向けてそれを制した。
「それじゃ言うけど、俺の名前はセガ・ヴェキア。それだけ言えば俺がどういう奴かって分かるよね?」
「……ヴェキア……」
ネーロはその名前を忌々しげに呟いた。オーロもまた、忌々しげに鎌を男に向け直した。
ヴェキア。
それは、数百年に渡って存在する家の名である。当初は財も土地もない三流の家であったが、ある時代の当主が国に多大な貢献をしたために、財も土地も名声も一気に高まった。国を救ったと言われるその活動により「ヴェキア」は正義の家系と称され、あちこちの町に銅像が建てられた。
彼らの正義、それは病魔の種をばらまく「魔女」を狩ることだった。最初に魔女狩りを行った当主はその直後に失踪し、行方知れずとなっていたが、ヴェキアの家の者は彼の遺志を汲んで魔女狩りは過去から現在まで連綿と続けられた。
そして今、オーロとネーロの眼前に立つ男こそ、その使命を背負った者であった。
「魔女狩りなんてダサいこと、子供の頃はどうでもいいと思ってたんだけどね」
ヴェキアはぽりぽりと頭を掻いて苦笑した。
「けどまあ、大人になったら色々分かるわけだよ。魔女を完全に絶滅させたらその名誉で甘い汁吸い放題だ、とかね」
「甘い汁? そんなもののために、俺らを殺す気かよ」
「んー、まあ最初はそのつもりだったんだけどね。今この状況だと甘い汁は吸うに吸えないよね。このままじゃみんな、亡霊になるんだしさ」
全員が亡霊になれば人間による統治は失われ、ヴェキアが言う「甘い汁」は確かに消滅する。
「それじゃあ、何で今更僕らの前に出てきたわけ? ていうか、どうして分かったわけ?」
ネーロの声には敵意の中に純粋な疑問も混じっていた。何故二人が魔女の家系の者だと分かったのか、そこはオーロも疑問に思っていた。自分達の正体については、数えるほどしか他人に話した事がない。
「どうして、ってさっき言ったじゃん。亡霊から詳しい話を聞いたって」
ヴェキアはぱちんと指を鳴らした。するとヴェキアの横にむくむくと一体の亡霊が現れた。ありふれた姿の亡霊なのだが、オーロはその亡霊に妙な感覚を覚えた。懐かしさ、と言えばいいのだろうか。
「さて、オーロとネーロがカイゼルさんに協力した理由は忘れてないよね?」
「……それは……」
ネーロは亡霊を凝視しながら続けるべき言葉を見失っていた。オーロもまた、言葉を出せなかった。嫌な予感が背筋を撫でた。
「泣ける話だよねえ。お父さんが奥さんと子供を守るために身を呈して亡霊になっちゃうなんて」
ヴェキアはよしよし偉いねえ、と言いながら亡霊の頭を撫でた。亡霊は何も言わず、ただふるふると震えていた。
「……それが……お父さんだって言うの……?」
ネーロの声は震えていた。もし今オーロも何か言えば、その声は間違いなく震えていただろう。自分の父親の魂が醜い亡霊となって、ヴェキアに大人しく頭を撫でられているなんて、許しがたいことだった。
「そんなお父さんを助けるためにカイゼルさんに協力する子供達……ああ、素敵な家族愛だねえ……」
でもね、とヴェキアはオーロとネーロを鋭く指差した。
「皆亡霊になっちゃった方が、ずうっと一緒に、幸せでいられるよ。俺らを倒そうと頑張るのは無駄なんじゃないかな?」
「なんで、そうなるんだよ?」
オーロは鎌を持ち直し、じりじりとヴェキアとの距離を詰めた。ヴェキアもまた、笑顔のまま足元から黒い泡をぽこぽこと出した。得体の知れない能力に、オーロはぴたりと歩み寄る足を止めた。
「俺が、親子の感動の対面のお手伝いをしてあげるよ。優しいでしょ?」
「ご丁寧にどうも。でも、僕らは僕らのやり方で感動の対面を果たすとするよ!」
ネーロは一つ一つの泡に向けて複数の鎖を投げつけた。ヴェキアは笑顔のまま煙管をくわえ、足元の黒い泡が鎖を迎え撃つ――
「ヴェキアさん!」
――寸前に、少女の声が辺りに響いた。鎖の動きはぴたりと止まり、じゃらんと音を立てて地面に落ちた。声がした方、森の入口付近を見ると見知らぬ少女がそこに立っていた。体が思うように動かないのか、足元をふらつかせながら木にもたれかけていた。
「……邪魔しないでほしいなあ、アピーナ」
ヴェキアはくわえた煙管を懐に戻し、笑顔のまま首を傾げた。その声の中には、若干の刺が含まれていた。
「私を連れ、今すぐ戻りなさい」
「どうしたの、リタちゃんの霧をくらったわけでもなさそうだし、カイゼルさんに何かしてやられたの?」
唐突に飛び出したリタとカイゼルの名にオーロは驚くが、二人はそんな驚きを無視して会話を続けた。
「カイゼル様の盾が、麻酔弾を飛ばすこともできるだなんて、あなたの情報にはありませんでしたわ」
憎々しげにヴェキアを睨むアピーナとは裏腹に、ヴェキアはそれを聞いてけらけらと楽しそうに笑った。
「へえ、麻酔弾! 奥の手ってやつだろうね、カイゼルさんって面白いなあ」
「あなたがきちんと調査をしていれば、こんなことにはならなかった……! あなたの責任ですわ!」
「敵が奥の手を持っている、って事まで考えが及ばずに以前のデータを鵜呑みにしたアピーナにも責任はあると思うけどね」
「…………」
アピーナは敵意をむき出しにした表情でヴェキアを睨んでいたが、当のヴェキアは睨みなどどこ吹く風でアピーナの体をひょいと抱え上げた。
「アピーナは俺の事役立たず呼ばわりしてたけどさ、これじゃ人の事言えないねえ?」
「……お黙りなさい!」
「はいはい」
ヴェキアは首だけをオーロとネーロの方に向け、にっこりと人畜無害に微笑んだ。
「それじゃあ、また後でね」
オーロとネーロが何かを言う前に、ヴェキアはさっさと森の奥へと消えていった。
そうして自分達以外誰もいなくなった空間で、オーロとネーロは同時にため息をついた。
「どうしてこう面倒くさい事になるかなあ!」「どうしてこう面倒くさい事になるかなあ!」
忌々しげに呟いた言葉も同じだった。
* * *
誰を信じればいいのか分からなかった。アピーナの言葉が本当だとすれば、カイゼルはリタにずっと嘘をつき続けてきた事になる。どうしてそんな嘘をついたのか、どうしてリタの記憶を奪い取ったのか、まるで見当がつかなかった。冷静に考えようと努めても、予想外の事実と毒に倒れたカイゼルを目の当たりにしていると心臓がどくどくと脈打つばかりで心が落ち着く気配はなかった。
ひとまず皆と合流しよう、とカイゼルを背負いながら森の中を歩いていた。しかし非力なリタにカイゼルを背負う事など出来るはずもなく、カイゼルの足はずるずると地面を擦っていた。そんな状態でもリタの背にのしかかるカイゼルの重みは相当なもので、リタの歩みは遅かった。
「……カイゼル……」
ずり落ちないよう背負い直すたびにカイゼルに声をかけてみたが、返答はなかった。意識があるのかないのか分からないが、カイゼルの呼吸は荒く、体は異常に熱かった。
このままカイゼルは死んでしまうのだろうか。アピーナは恐らく、カイゼルを殺すつもりで攻撃していた。放っておけばこの毒がカイゼルの命を奪うのは簡単に予想できた。
「……死んじゃ……駄目だよ……」
カイゼルに死なれたら悲しい、というのもあるが、何故リタの記憶を奪って嘘をついたのか、その理由をカイゼルの口から直接聞きたいという思いも強かった。
村に住んでいた頃のリタならそんな思いはなかった。あの頃のリタならきっと、ただ人が死ぬのが嫌だから助けたい。それだけの理由しか持たなかった。何かを聞き出したい、というどこか利己的な理由が入る余地はなかった。
変わったな、とリタは自分でも思う。
あの頃よりも内向的ではなくなったし、旅という変化に満ちた日常を楽しめるようになった。見知った人達と過ごす、変化のない毎日が最高だと感じていた頃のリタと今のリタ、どちらが良いのか自分では分からない。
そんな事をぼんやりと考えていると、森を抜けてオーロとネーロの姿が見えてきた。
「オーロ、ネーロ!」
はっきりと二人の姿が見えるようになると、リタは大きな声を出した。オーロとネーロはリタに気付き、背負われているカイゼルに気付いて駆け寄ってきた。
「リタ、カイゼルさんどうしたんだ!」
オーロはカイゼルの肩を掴み、そこから感じ取れる尋常ではない熱さに咄嗟に手を引いた。ネーロも同じようにカイゼルの肩に触れ、「ひどい熱」と呟いた。
「アピーナって子の毒を食らって、倒れたの」
リタはカイゼルを地面に横たえ、額に触れた。背負う前に触れた時よりも額は熱くなっており、この少しの間にも容体は悪化していた。
「毒か……リタ、毒を食らってからどれぐらい経ったか、症状はどんな風だったか、教えて」
リタは素直に質問に答え、ネーロは腕を組んでうんうん考え出した。オーロとネーロもリタに嘘をついていて、そして記憶を奪った張本人であるのだが、今はそんな事を気にしている場合ではなかった。まずはカイゼルを助ける事が先だ。
「おおっ、ちょっとちょっと! 僕が出かけている間にどんなイベントがあったわけ?」
唐突に現れたジョーカーが背後からリタの両肩を掴んできたが、誰もジョーカーの出現に驚く事はなくカイゼルを心配そうに眺めていた。
「……ノーリアクションですか、そうですか。もうだめだ、ショックで立ち直れないよ……」
がっくりとその場に倒れ込むジョーカーの襟首を、ネーロが掴んでカイゼルの前に引きずり出した。
「ショックで倒れる前に、カイゼルさんを診てよ」
「えー……意識がなくって高熱で……何これ、毒でも食らったの?」
ジョーカーはむくりと起き上ってカイゼルの額や首筋、体中のあちこちを触った。途中でカイゼルの眼鏡を外したり額に何かを書いたりしていたが、その辺りは関係がない行動なのだろうなとリタでも分かった。
「俺らにはどんな毒を食らったのか見当がつかねえんだよ。ジョーカー、何とかならねえか?」
オーロの未だかつてない程の真面目な声色に、瞼に目を描いていたジョーカーの手が止まった。
「うーん、まあ何とかなるとは思うけど、僕とカイゼルだけで何日か遠出することになるよ」
ジョーカーは気が進まないようだったが、リタは「お願いします」と頭を下げた。オーロとネーロには対処できないし、カイゼルをこのまま町まで連れていく事は難しいように思えた。
「お願い」「頼む」
リタに続いてオーロとネーロも頭を下げ、ジョーカーは困ったように頭を掻いていたが、
「……仕方ないなー、そこまで言うならこの世紀のイリュージョニストにお任せあれよ」
とカイゼルを背負って立ちあがった。右手にはいつの間にか鍵が握られており、何もない空中に向かって鍵は突き出されていた。
「ジョーカー」
「僕らが戻って来るまで、この辺でじっとしててね」
ジョーカーはにこりと笑い、右手をひねった。がちゃん、と何かが開く音がして白い霧があっという間に辺りに充満した。
「そんじゃ、良い子でお留守番してるのよー!」
妙に母親っぽいジョーカーの声音を聞きながら、辺りを覆い尽くす真っ白な霧にリタは目を閉じた。
次に目を開けた時、そこにジョーカーとカイゼルの姿はなかった。
二人が消え、残されたリタとオーロとネーロはぽかんとその場に佇んでいた。暫くの間誰も話そうとしなかったが、最初に沈黙を破ったのはリタだった。
「……ねえ、オーロ、ネーロ」
「何だよ」「何?」
リタは開口一番こんな話題で良いのだろうか、と迷ったものの雑談から本題に自然に持ち込むような話術は持ち合わせていないのでストレートに言う事にした。
「どうして私の記憶を奪ったの?」
リタははっきりとそう言ったが、オーロとネーロは少しの間何も言わなかった。その表情には、戸惑いがはっきりと浮かんでいた。
「……な、なんでそんな変なこと言い出すんだよ?」
「そ、そそ、そうだよ。僕らが初めて会ったのはあの村でしょ? その時にはリタの昔の記憶はなかったんだから、有り得ない事だよ」
「それなら、どうしてそんなにあたふたしてるの」
人生経験の少ないリタから見ても、二人が動揺しているのは明らかだった。カイゼルと違い、この二人はあまり上手に嘘をつけないんだろうな、とリタは直感した。
「はっきり言ってよ。私、オーロとネーロが何をしてても怒らないよ。ただ、嘘だけはつかないで」
「……あー……えーっと……」
オーロは気まずそうに頭をぐしゃぐしゃとかき回し、ネーロと目を合わせた。二人の間に言葉のやり取りはなかったが、何かが通じ合ったのか同時にリタの方を向いて頭を下げた。
「ごめん!」「ごめん!」
「……やっぱり、そうなんだ」
リタがそっと呟くと、オーロとネーロは頭を上げてしゅんとした表情を見せた。
「……ごめんな、嘘ついて。確かに、俺がリタの記憶を狩ってネーロがそれを封印してた」
「封印した記憶を、ちょっとずつ開放して思い出させていったのも、僕らがやった事だよ」
「どうして、そんな事をしたの」
「それは……カイゼルさんに、聞いてくれねえか。俺らには分かんねえよ」
気まずそうに頭を掻くオーロの口ぶりは本当らしく、リタは「そう」と呟いた。
「今も、私の記憶を持ってるんだよね。見せて」
リタの言葉にネーロは小さく頷き、影の中から一本の鎖を取り出した。鎖の先端が何かを封じ込めるようにがんじがらめに巻かれており、その隙間からぼんやりとした光が漏れている。
「……これが、私の残りの記憶なの?」
ネーロは何も言わなかったが、その表情を見るとこれがリタの記憶なのは間違いないと感じた。
「返して。全部」
「……それは……」
ネーロは尻込みするような仕草を見せたが、リタは鎖越しに自分の記憶を掴んだ。
「私なら大丈夫だから。お願い」
リタはじっとネーロの瞳を見つめた。ここまで来て、自分の記憶を掴んでおいて、退くわけにはいかない。リタのその強い意志を感じ取ってか、ネーロは小さくため息をついて、鎖から手を離した。するすると鎖はネーロの影の中に吸い込まれていき、巻きつかれていた光だけを残し、鎖は影の中に完全にのみ込まれた。
「カイゼルさんに怒られるなあ」
「未だかつてないレベルで怒られるよなあ」
重いため息をつく二人を見ながら、リタはにこりと微笑んだ。
「ありがとう」
手の中にある光を、リタはゆっくりと胸の中に押し込んでいった。痛みや異物感は無く、何かが自分の中に入っている感覚は一つもなかった。
光を体の中に入れ終えると、妙な胸の高鳴りが起こった。記憶の津波が押し寄せてきているのだ、と直感で分かった。夢を見るように、過去を見るのだ。
リタは胸に手を当て、オーロとネーロを見た。二人はどこか悲しげな微笑を浮かべた。
「今度は起きろよ」
「……え?」
それはどういう意味なのか? オーロに問う前に、リタの意識は過去へと飛ばされていった。