霧の涙 第五話「観光 -twins-」
時は少し遡る。
買い出しに出かけたカイゼルとジョーカーを見送った後、リタは何をすればいいのか分からず宿のベッドの端に腰かけていた。カイゼルは町を観光すればいいと言ったが、観光などした事がないから何をどうすればいいのか見当もつかない。
そんなリタの目の前で、オーロとネーロは慌ただしく旅荷物をひっかき回して何かの準備を始めていた。小さな鞄を引っ張り出し、その中に財布や小物を放り込む。いくらか膨れた鞄のチャックを閉じると同時に「準備終わり!」と二人揃って喜びの声を上げた。
「準備って?」
リタが首を傾げていると、オーロは「決まってんだろ!」と鼻息を荒くし、ネーロは「買い物だよ!」とリタの額を軽く叩いた。
「買い物?」
「そう! リタも一緒に来るか?」
「というかリタは観光しとかないと、カイゼルさんに怒られるよ。僕らが」
「うーん……となると、用意しといて何だけど……俺かネーロが荷物番で残ることになるな」
オーロがそう言いながら部屋の隅に積まれた旅荷物をちらりと見た。確かに、買い物をしている間に荷物を盗まれては怒られるどころではない騒ぎになるだろう。
「じゃあオーロが残ればいいんじゃないかな」
ネーロがそれだけ言うとリタの手を取って部屋を出ようとしたが、
「何でだよ。ここはじゃんけんで決めるべきだろ」
オーロが服の裾を引っ張ってそれを阻止した。ネーロは渋々オーロの方に向き直った。
「仕方ないなあ。じゃあ一本勝負で」
「いくぞ」
二人は袖をまくり、それぞれが指を複雑に絡ませて祈りの言葉のようなものを呟き始めた。辺りの空気が一気に緊迫したものになり、部屋の扉の傍でリタはその様子を見守ることしかできなかった。
二人は深く息を吸い、絡ませた指を同時に解いた。
「じゃんけん」
「ぽん」
ネーロが劇的に崩れ落ちた。
「――それじゃ、ネーロの分も帽子とか買ってきてやるから良い子でお留守番してろよ!」
オーロは今まで見たことがないほど良い笑顔を浮かべ、ネーロは今まで見たことがないほど鬱々とした表情をしていた。
「……お土産は帽子とお菓子と服と現金でいいよ、さっさと行ってらっしゃい」
ネーロはベッドに倒れ込み、枕に顔を埋めてそれきり何も言わなくなった。
「よし、お土産はどうでもいいから買い物行こうか」
オーロはリタの手を掴んで宿を出た。町の中心部に向かって歩きながら、
「いいか、すげえ人混みだから俺の手を離すんじゃねえぞ。そんで、もし迷子になったらさっさと宿に戻ること」
「うん」
リタはオーロの手を握り返し、オーロがそこまで言うとはどれほどの人混みなのだろうと想像を膨らませた。
「あと、いくら頼りになるからって、俺に惚れるんじゃねえぞ」
「それはないと思う」
リタは即答し、オーロは「だよなあ」と悪戯っぽく笑った。
* * *
町の中心部は恐ろしいほど混み合っていた。オーロは慣れた様子で人混みの隙間を通り抜けていくが、リタはそうもいかず度々人と肩がぶつかった。リタは肩がぶつかった人に対して「ごめんなさい」を連呼しながらオーロの手を握り、必死でついて行った。
ある露店の前でオーロが立ち止まり、リタも人混みに流されかけながらもオーロの隣に立った。どうやら帽子の店らしく、色々な種類の帽子が並べられていた。これだけ沢山の帽子を見るのは生まれて初めてで目を丸くしていたリタの横で、オーロは子供のように目を輝かせていた。
「うわあ、これカッコいい……。あ、でもこっちもお洒落……ああでもあれも捨てがたい……」
片っぱしから帽子を手に取り、喜びのため息をついた。ここまで嬉しそうなオーロを見るのは初めてで、リタも何故だか嬉しくなった。リタは羽飾りがついた帽子を一つ手に取り、オーロに差し出した。
「ね、これは?」
「それもいいな……ああどうしよう、買い占めたいのにそれだけのお金がないジレンマ!」
オーロは自分の帽子を脱いでリタにかぶせ、羽飾りがついた帽子を被ってみた。少し派手なデザインだが、オーロが被ると不思議と似合った。
「オーロ、それ似合うよ」
「まじで?」
オーロは嬉しそうに羽飾りを触り、上機嫌な顔で「じゃあおっさん、この帽子二つくれ!」と威勢よく言った。
「二つ?」
「ネーロの分だ。いつも揃いの帽子を被るのが俺らだからな」
オーロは羽飾りの帽子を受け取り、鼻歌を歌いながら歩き出した。リタも慌ててその後に続き、はぐれないようにオーロの手を握った。オーロが出かける時に被っていた帽子をリタはまだ被っていたが、彼が何も言わないのでそのまま被っておくことにした。
「リタは何か欲しいものあるか?」
唐突にオーロに質問を投げかけられ、リタは少し考え込んだ。何か欲しいもの。
「……分からない」
「分からない?」
今まで村で淡々と日常を過ごしてきたから、こういう場所に来ても何を欲しがればいいのか、何を買えばいいのか分からない。リタが素直にそう言うと、オーロは「うーん」と首をひねった。
「欲しいものがないのか」
それじゃあどうしようかなあ、と少しの間思案に暮れていたが、
「じゃあこうしよう!」
ぽんと手を叩いた。
「カイゼルさんにお菓子を買ってあげたらいいんじゃないか?」
「カイゼルに?」
うんうんとオーロは頷き、辺りを見回し始めた。きっとお菓子屋を探しているのだろう。
「プレゼントならリタだって選べるだろ? お菓子なら皆で一緒に食えるしさ」
「でもどうしてカイゼルなの?」
「どうしてって……」
お菓子屋を見つけたのか、オーロが急に方向転換して歩き始めた。
「カイゼルさんはリタにとって大切な人なんだろ?」
オーロのその言葉を受け止め、彼の後について歩いた。
「……大切な人……?」
確かにカイゼルはリタが旅に出るきっかけを与えてくれた人だし、大切ではある。でも、今のオーロの言葉にはそれ以上の意味が含まれているような気がした。あくまで「気がした」だけなので、オーロを問い詰めたりはしなかった。
オーロが見つけたお菓子屋は焼き菓子を中心とした露店だった。色鮮やかにラッピングされたお菓子の山を見ていると、リタの心はふわふわと高揚した。オーロも相当高揚しているらしく「うまそうだなあ……」とうっとりしていた。
「やっぱりクッキーかなあ」
カイゼルが紅茶とクッキーで小腹を満たす様子は、つきあいの浅いリタでも何回も見た。カイゼルがクッキー好きなのは簡単に分かる。
「たまには変化球で攻めるのも良いと思うけどなあ」
オーロはクッキーの横に置いてあったマドレーヌを手に取った。かすかに香る甘い匂いに目を細める。
「うーん、オーロはどれが良いと思う?」
「そうだなあ……堅実に行くならクッキー、意外性を狙うならそれ以外の何か、かな」
「それ以外の何かって、範囲が広すぎるよ」
リタは苦笑しながらも改めてお菓子の山を眺めた。色とりどりのお菓子が並んでいるが、一つのお菓子がリタの目に止まった。
透明の箱の中に詰め込まれたそれは、小さな丸い形で淡い色遣いが何とも可愛らしかった。何というお菓子なのか分からないが、その見た目の可憐さがリタの気を惹いた。
「ねえオーロ、私あれがいいな」
リタが透明の箱を指さすと、オーロは露骨に目を丸くして驚いた。
「マ、マカロン……だと……」
「駄目かな」
オーロは渋い顔をして悩んでいたが、
「いや、リタがいいって言うならそれでいい。……おっさん、マカロン一箱!」
一箱のマカロンを受け取ったリタは、箱の中に並ぶ色取り取りの丸に目を細めた。
「これ、マカロンって言うんだ。どんな味がするの?」
「……俺、食ったことねえんだよな、それ」
ちょっとした高級菓子だよ、とオーロは苦笑した。本当はちょっとどころではない高級菓子なのだが、リタがそれを知ることは無かった。
* * *
帽子と菓子を買って、買い物もひと段落したので適当なところで休憩しようという話になり、手近な喫茶店に入った。
町の中心部に居を構える喫茶店だけあって、店内も人でごった返していた。席は全て埋まり、立ち話をしながら紅茶やコーヒーを飲む者もいれば、席が空くのをじっと待つ者もおり、そういった客の間を店員が慌ただしげに歩き回っていた。
リタとオーロは店内を歩き回り、空きそうな席がないか探し回った。すると目の前の二人連れの客が偶然にも席を立ち、店を後にした。オーロはこれ幸いと席に座り、リタもおずおずとその隣の席に座った。
オーロはすぐさま店員を呼び、冷たい紅茶を頼んだ。リタは何を頼めばいいのか分からず、オーロと同じ冷たい紅茶を頼んだ。
「リタも冷たい紅茶かあ。ジュースもあったのに」
「喫茶店とか初めてだからよく分からないの」
村にも喫茶店はあったが、客としてその店を利用した事は無かった。
「冷たい紅茶とか、買い出しでへとへとになったカイゼルさんが頼みそうだよな」
「クッキーも一緒に頼んでそうだよね」
その様子がとてもリアルに想像できて、リタはくすくすと笑った。
そうこうしているうちに注文した品が届き、二人は同時に冷たい紅茶を一口飲んだ。すっきりとした味に全身が落ち着くのが分かった。
「……ねえ、オーロ」
「うん?」
「オーロとネーロは「能力」を持ってるんだよね」
「おお」
オーロは特別な感慨もなくあっさり頷いた。紅茶にシロップをなみなみと注ぎ、相当甘くなったであろう紅茶を美味しそうに飲んでいる。
「二人はどんな能力なの? 初めて会った時、亡霊と戦ってるのを見たけど全然分からなかった」
二人の戦いを見たあの時は、気が動転していたからろくに考えることができなかったが、今改めて思い出して考えてみてもさっぱり分からない。
「んー、まあ簡単に説明するとだな」
オーロはストローをうにうにと噛みながら、どう話そうか思案している風に宙に目をやった。
「俺は自分の影から大鎌を作る。それは見えてたよな?」
「うん」
「あの鎌な、殺傷力は全然ねえんだけど、斬った奴の記憶を刈り取れるんだよ」
「記憶?」
予想もしなかった言葉をおうむ返しに問い返すと、オーロは「そう、記憶。刈っても丸一日ぐらいで元に戻っちまうけど」と頷いた。
「で、まあ俺は戦う時は「直近の記憶」を刈ってる。そしたら刈られた奴は自分が何でここにいるのかとか分かんなくなって考えちまうだろ? それが大きな隙になる」
リタは記憶が刈られる事を想像し、隙ができることに納得した。もし今この記憶を刈り取られたら、見知らぬ喫茶店でオーロと一緒に紅茶を飲んでいるこの状況に戸惑うのは必至だ。
「亡霊にも記憶はあるから、これが効くんだよな」
彼らには生きていた頃の記憶も、亡霊になってからの記憶もあるらしい。亡霊にも記憶があるのが意外でリタが驚いている横で、オーロはあっさりと「俺の能力はそんなもん」と自分の説明を打ち切った。そして紅茶を一口飲み、
「で、ネーロは鎖で色んなものを封印することができる」
これまたあっさりとネーロの能力を説明した。余りにも簡潔な説明にリタは戸惑い、オーロは肩をすくめた。
「詳しいことは分かんねえんだよ。ただ鎖で巻きつけたものは何でも封印できる」
ネーロの場合はその力で亡霊の行動を抑制する。オーロが刈る「記憶」と違い、鎖での封印はネーロが解くまで決して解除できないものらしい。
「まあ、そうやって俺らはまず動きを封じるわけだ」
あの時、動きを封じるところはリタも見ていた。二人の軽やかな動きは今も目に焼き付いている。
しかし二人の能力がそれだとすると、疑問も浮かんだ。
「……それじゃあ、最後に亡霊を消したのはどうやったの?」
「それはなあ、俺らの秘密兵器ってやつかな」
オーロは紅茶をぐいと飲み干し、悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「俺の鎌とネーロの鎖は合体できるんだ」
合体、という何とも子供っぽい響きにリタが面食らっているとオーロは「変な顔」とからかった。
「合体って……それをしたら、何か変わるの?」
思い出してみると、亡霊の動きを止めた後、オーロはネーロの鎖を鎌の柄尻の部分に取り付けていた。あれが「合体」なのだろう。
「合体して鎖鎌にしたら、なんと普通に攻撃できるようになるんだ」
原理は二人にもカイゼルにもジョーカーにも分からないらしいが、とにかく物理的なダメージを与えられるようになる。オーロとネーロはこれを「双子パワー」と呼んでいるのだが、それはどうでもよかった。
「だから、動きを止めた後は鎖鎌にして止めを刺していくって感じかな」
これで説明は終わりらしく、オーロは空になった紅茶のコップをストローでいじったりシロップを指に付けて舐めたりし始めた。少し気になるところもあったが、リタはそれ以上追及せずに自分の分の紅茶を飲み干した。
リタが紅茶を飲み干した事を確認すると、オーロは「そろそろ行くか」と言って席を立った。リタも続いて席を立ち、オーロの後ろにぴったりくっついた。
店を出て人込みの中に飛び出したオーロの手を掴み、リタはオーロに聞こえるように大きめの声で訊ねた。
「ねえ、これからどこに行くの?」
「一旦宿屋に戻るかな。ネーロも買い物したいだろうし、交代だ」
オーロのその声は限りなく優しい響きがして、二人の仲の良さをリタは改めて知った。
* * *
「何だよこいつ、最低じゃねえか!」
先程限りなく優しい発言をしたオーロが、宿屋で開口一番にそう毒づいた。ベッドの上でネーロがすうすうと寝息を立てており、その横でジョーカーが暇そうにトランプタワーを積み上げていた。
「俺が折角、兄貴としての優しさを見せてやろうとしたのに……寝てるだなんて!」
きいきいと不満を漏らして今にもネーロに掴みかかりそうな勢いのオーロに対し、
「あんまり暴れないでよ。10段タワーに挑戦してるんだからさー」
ジョーカーはいつも通りの笑顔でオーロを諌め、「リタちゃん、お買い物は楽しかった?」とぴらぴらと手を振った。
「……あれ、カイゼルはどうしたの? 一緒に買い出し行ったんでしょ?」
「あー、うん。それはねえ」
ジョーカーがそう言いながらトランプタワーの頂上を積み上げようとすると、タワーはぱたぱたと崩れ落ちた。ジョーカーは憤慨することもなく、「ありゃりゃ」と呟きながらトランプを集めて揃えた。
「カイゼルは秘密のお買い物に行くって」
「はあ? なんだよそれ」
「だから、僕やオーロやネーロ、ましてやリタちゃんには知られたくない物を買いに行くって」
オーロは暫くの間ぽかんとしていたが、「ああ!」と何かに納得して次の瞬間には卑猥な微笑を浮かべた。
「なるほどなあ、そりゃ仕方ねえなあ」
にやにやと怪しい微笑をし続けるオーロの横で、リタは首を傾げ続けていた。
「……秘密のお買いものって、何を買いに行ったの?」
さっぱり見当がつかない。オーロがあれだけの情報で「秘密のお買いもの」が何か分かったのが不思議でならない。
「まあ、分からないなら分からないままでいた方がいいと思うよ!」
ジョーカーは笑顔でリタの頭をぽんぽんと叩き、そのまま部屋を出ようとした。余りにも自然な動きで、リタもオーロも流してしまいそうになるが、すんでのところでリタが「どこにいくの?」と問いかけた。ジョーカーは扉の前で立ち止まり、
「僕もちょっとお買いもの」
にやりと笑った。
「秘密のお買いものかよ?」
その笑い方から何かを察したのか、オーロもにやりと笑った。が、ジョーカーはあっさり首を左右に振った。
「違うよ。久しぶりに美味しいコーヒーが飲みたいから、ちょっと頑張ってコーヒー豆探してこようかなって」
「コーヒーかあ。私、コーヒーは飲んだことないなあ」
あれは大人の飲み物のイメージがあって、なかなか飲む気が起きなかった。
「じゃあ、リタちゃんの初コーヒーは僕が買いたてのコーヒー豆で淹れてあげよう」
ジョーカーは颯爽と扉を開け、あっという間に宿屋から出て行った。
ジョーカーが去ってしんと静まった部屋の中で、リタはそっとオーロの服の裾をつまんだ。
「ねえ、オーロ」
「なんだよ」
リタはオーロをじっと見上げ、言葉を発した。
「秘密のお買いものって何なの?」
「そんなもん、分からないままでいい。ジョーカーもそう言ってたろ」
オーロはベッドの傍に立ち、眠るネーロの傍に買った帽子を置いた。
「でも、気になる。私だけ分からないって嫌だよ」
リタがずいずいとオーロに迫り、オーロは
「んなことより、ネーロの寝起きドッキリとかやろうぜ。あと瞼に目を、額に肉って描こう」
と話をはぐらかそうとするが、リタは「誤魔化さないでよ」とその話に乗らなかった。
「それともマカロンを二人でこっそり食っちまうか? ばれなきゃいいんだし」
「もう、ちゃんと答えてよ!」
……それからしばらくの間、リタはオーロに質問の嵐をぶつけていたが、オーロは頑なに話をはぐらかし続けた。