霧の涙 第八話「出自 -wizard-」

 朝の慌ただしい時間が過ぎ、自由な時間が訪れた頃を見計らってカイゼルは全員を部屋に呼び集めた。こうして全員を呼び集める時はいつも大事な事を話しているため、オーロやネーロの表情は若干硬い。
「唐突で申し訳ないのですが」
 カイゼルは全員の表情を確認し、一呼吸置いてから話を切り出した。
「今日、この町を出発します」
「……えええええっ!」
 露骨に不満の声を挙げたのはやはりオーロとネーロだった。特にネーロの不満の表情は未だかつて見た事がないほど物凄いものだ。
「僕、買い物行ってないんだけど! 帽子とか服とか買いたかったのに!」
「帽子ならオーロ君が買ってくれてたじゃないですか」
「帽子を選ぶ楽しみを味わいたいんだよ! カイゼルさんは全く分かってないんだから!」
 ネーロは頬を膨らませ、ベッドに突進して枕に顔を突っ込んで何かを叫んでいた。ありとあらゆる言葉でカイゼルを罵っているのだろうが、枕にかき消されて詳しい事は聞き取れない。というか、聞き取る気はない。
 枕に顔を埋めるネーロの傍らで、ジョーカーもやや不満げに頬を膨らませていた。
「僕だってこの町を探検してみたかったんだけどなあ」
「すみませんね、探検はまた次の機会と言う事で」
 カイゼルはその言葉で話を打ち切り、さっと立ちあがって自分の荷物を背負った。カイゼルの決定が揺らがない事をその行動から知ると、ジョーカーやオーロものろのろと荷物をまとめだし、ネーロもリタを連れて荷物をまとめに部屋に戻った。

 昨日の一件があったからには、この町に長く滞在するのは危険だ。昨日は被害を出すことなく切り抜ける事が出来たが、もう一度来られたら凌ぎ切れるかどうか分からない。とにかく町を離れ、身の安全をひとまず確保することが急務だ。
 ただ、本当に「安全」な場所はもうどこにもないのだという事は分かっていた。今回の件でカイゼルはラクリマと完全に敵対し、彼女はカイゼルが亡霊になることを望んでいる。彼女がその気になれば、亡霊を使ってカイゼル達の居場所を探ることなど容易い。つまり、どこに隠れようが亡霊は現れ、カイゼル達を襲う。それはもう変えようのない事実だった。
 全員が荷物をまとめ、集まったのを確認するとカイゼルは宿の支払いをさっさと終え、足早に町を去った。次に向かう町すら決めていなかったが、それぐらい道中で地図を見て決めればどうとでもなる。目的地を定める前に町を出るのは初めてなのでオーロとネーロに何やかんやと言われるのは予想できたが、二人の野次は日常茶飯事なので大した事は無かった。

 * * *

 トゥラターレを出てまずはひたすら北へ進んだ。歩きながら地図を開き、トゥラターレよりも北方にあり、ここから最も近い町を探した。ちらほらと町や村は点在するが、カイゼルは「シャグラ」と書かれた点に指を置いた。
「ここですかね」
 ここから北の方角にあり、近く、そして何よりも小さそうな村だった。トゥラターレのような大都市では敵の尾行に気づきにくく、敵襲を受けた時も周囲の一般人への対応で集中を削がれる。これからはなるべく小さな村を転々としながら北に向かっていく。それが最も安全な旅路だとカイゼルは考えた。
 シャグラまでの距離、地形などを大よそで読み取り、どれぐらいの日数がかかるか試算した。何日かは野宿を行う必要がありそうで、カイゼルはその事を全員に伝えた。
「ふうん、まあ野宿は慣れてるから何日かかろうと構わねえよ」
「僕はオーロ君じゃなくてリタ君を心配しているんです」
「ああ、さいですか」
 オーロは不満げに頬を膨らませ、リタをちらと見た。リタはどこか申し訳なさそうな顔で「私なら大丈夫だよ」と微笑を浮かべていた。
「……オーロは野宿は慣れてるって言うけど、どういう暮らしをしてたの?」
 リタは微笑を引っ込め、首をかしげてオーロを見つめていた。カイゼルもその事はやや気になっていたので、調子を合わせる。
「それは僕も、ほんの少し気になりますね」
「それは……まあ……」
 オーロは歯切れ悪く言いながら、目線を逸らした。全身で「言いたくない」と主張しているが、
「ほらほら言っちゃえよーう。僕らの友情が壊れるわけでもあるまいし」
 ジョーカーはそんなことはお構いなしにオーロをはやし立てている。「ほら、ネーロもさらっと言っちゃえばいいじゃなーい!」とジョーカーはネーロもついでにはやし立てる。はやし立てられた二人は頑なに「言いたくない」を態度で主張したが、先に折れたのはネーロだった。
「……オーロ、もう言っちゃえばいいんじゃない?」
「ええー……」
 オーロは苦虫を口の中一杯に詰め込んで噛み潰したような表情をしたが、ネーロはそんなオーロの頬をつねった。
「カイゼルさんもリタもジョーカーも、ああいう事を信じるような人じゃないって分かってるんだし」
「まあそれはそうだけど……」
 オーロはネーロの手を払いのけ、不貞腐れた表情でネーロの頬をつねり返した。そして二人揃ってカイゼルの方をじっと見た。
「……それじゃあ話すけどさ、他人にはこれ言うなよ」
「もし言ったら、僕らは地の果てまで追いかけて記憶を根こそぎ取るからね」
 二人の声にはいつもの冗談は感じられず、本気で言っている事が分かった。カイゼルは頷き、それに続くようにリタとジョーカーも頷いた。

「お前らはさ、魔女って知ってる?」
「魔女、ですか」
 予想もしていなかった単語がオーロの口から飛び出し、カイゼルは若干目を見開いた。
「魔女って言うと、テクマクマヤコンとか呪文を唱えて変身とかやっちゃうあれだよね?」
「……そうなの?」
 ジョーカーの滅茶苦茶な説明を本気で信じかけたリタに対し、カイゼルは「出鱈目です。信じてはいけません」と諭した。
「魔女と言うのは、今から数十年前に存在したと言われる者達です。摩訶不思議な術や占いで多くの町や村に疫病をもたらしたと、史実では言われています」
「じゃあ、魔女は悪い人なの?」
 リタの至極当然な問いかけに対し、オーロは「ちげーよ!」と割って入ってきた。
「魔女なんてもんはなあ、疫病を流行らせた責任を押し付けるためにお偉いさんが作ったもんだよ! 魔法とか占いとか特別な力は持ってない、皆普通の人だ」
「まあそれは、近年よく言われていることですね。魔女狩りは本当に正しい事だったのか、と」
 魔女というものが発見されてから、国は即座に「魔女狩り」を始めた。それを行った当時は魔女狩りは絶対的な正義と信じられていたが、魔女狩りが終わり長い年月が経った近年になって「疫病を流行らせる魔女は本当に存在したのか」という疑問がむくむくと起きている。それについての議論は行われているが、確たる証拠もなく議論は平行線でだらだらと続いている。
「ふうん、難しい話だねえ。で、それがオーロとネーロに何の関係があるの?」
「簡単な話だよ。僕らは魔女の子孫なんだ」
 ジョーカーの問いに対してネーロはさらっと答え、辺りはしばらく沈黙した。
「……はあ、それはまた大変でしたねえ」
 最初に沈黙を破ったのはカイゼルだった。二人が歴史の一ページを彩った魔女の血をひいているとは夢にも思わなかった。
「それでね、魔女の善悪について疑問視されてるって言っても、やっぱり魔女が悪いんだって思う頭の固い人は大勢いるわけだよ」
「だから俺らは生まれた時からあちこち転々として、そういう奴らから逃げてるってわけ」
「……それは、その、大変だね」
 リタがとぎれとぎれながらも言葉を絞り出し、二人の苦労をねぎらった。生まれた時から逃げ続ける事は確かに辛いだろう。二人が妙にサバイバルに強かったり、野宿に慣れていたりする理由はこれで納得できた。
「それじゃあオーロとネーロはさ、ずっと逃げ続けるつもりなの?」
 ジョーカーが首をかしげていると、二人は「とんでもない!」と口を揃えた。
「色んな情報を集めて、悪い魔女なんていないっていう証拠を掴んで、俺らが堂々と生きられる世の中に変えるつもりだ!」
「まあその前に亡霊をなんとかしちゃわないとねえ」
「だよなあ」
 オーロとネーロは揃ってため息をつき、とぼとぼと歩き始めた。そんな二人の背中を見て、リタはぽつりと呟いた。
「……すごいなあ……」
 どこか寂しげな口調で、カイゼルがリタの顔を覗き込むとそっと眉尻を下げて微笑んだ。
「オーロとネーロは、やるべき事をちゃんと分かってて、それを実行してる。それが凄いなって」
「焦る事はありませんよ、リタ君。君は君のペースで、出来る事を探して実行すればいいんです」
「……そう、だね。私に出来る事……か」
 リタは凛とした顔で前を向き、ずんずんと歩き始めた。ここまで人の言葉に影響されやすい子も珍しいな、とカイゼルは苦笑しながらもリタの後ろについて歩いた。

 * * *

 やがて日は暮れ、カイゼルは野営の準備を始めた。それぞれの役割を決め、単独行動をしないよう厳重に注意した。以前から単独行動はしないように言ってきたが、亡霊に襲われる危険性が増した今、単独行動は何よりも避けるべき事になっていた。夜の見張り番も居眠りはしないように今一度釘を刺した。
 そういったカイゼルの態度の変化に誰もが気付いたようで、オーロは真剣な表情で首を傾げていた。
「カイゼルさんさあ、何で今更ガミガミ言いだすの? それぐらい俺らはちゃんと分かってるぞ」
 そういった旨の事はネーロにもリタにもジョーカーにも言われたが、
「中だるみしそうな時期ですから、締め直しているだけです」
 とだけ返した。誰もが腑に落ちない表情をしていたが、それ以上詳しい説明はしなかった。

 深夜、カイゼルはむくりと起き上り、いびきをかいて眠るオーロを起こさないよう注意しながらテントを出た。夜のしんとした雰囲気の中、深く息を吸った。夜風に冷やされた空気が肺を満たし、その冷たさに少し目が覚めた。二張りのテントの前ではたき火がちろちろと燃えており、火の暖を取るようにジョーカーがじっと座っていた。
「お疲れ様です」
 カイゼルが隣に座ると、ジョーカーはぱっと顔を輝かせた。
「もう交代? やったあ、寝よう寝よう!」
 ジョーカーは腰を浮かすが、カイゼルが服の袖をひっぱりそれを制した。
「交代まではまだ少し時間があります。……少し、君に聞きたい事があるんです」
 カイゼルが真剣な表情でそう言うとジョーカーはすとんと腰を下ろし、「何?」とたき火を見ながら訊ねた。
「……君は、一体どこから来たんですか」
「最初に言ったじゃない。忘れちゃったの?」
「それは覚えていますよ」
 ジョーカーの耳は尖っている。見たこともない特徴に、初めて会った時はまずその事について尋ねていた。それに対する彼の回答は「世界は広いからね、耳が尖ってる人もいるんだよ。僕はカイゼルが知らないぐらい遠い偏狭なところから来たんだ」という曖昧なものだった。
「僕があんな曖昧な答えで満足すると思ったんですか」
 あれからカイゼルは暇さえあれば世界中の民族や種族について調べた。耳が尖っている人間というのは本当に実在するのか。調査は慣れたものだったので、結論が出るまでさほど時間はかからなかった。
「……耳が尖っている人間、なんていませんでした」
 カイゼルの言葉に、ジョーカーの笑みが止まった。
「もう一度聞きます。……君は、一体どこから来たんですか?」
 ジョーカーは少しの間黙っていたが、やがて盛大にため息をついた。
「オーロとネーロの時といい、今日は暴露大会の日なの?」

 ジョーカーはたき火の中から一本の焚き木を抜き取り、手持無沙汰にそれをくるくると回し始めた。
「ちょっと想像しにくい話なんだけど、いいかな?」
 カイゼルもたき火の中から一本の焚き木を抜き取り、先端に点いた火を吹き消した。
「いいですよ」
「えーっとね……まず、世界ってのはいくつもあるんだ」
「世界がいくつもある?」
「それぞれが独立していて、普通の手段なら行くことも、他に世界があるってことも気づかないんだけども、あるんだよ」
 ジョーカーは焚き木を火の中に放り込み、夜食のレーズンパンを取り出した。そしてパンを二つに割り、断面をカイゼルに見せてきた。
「例えるなら、このレーズンの一粒一粒が世界なんだ。実際はこんなに少しじゃなくて、沢山、数え切れないほど世界ってのはあるんだ」
「なんとまあ、壮大な話ですね」
 オーロとネーロの時以上に予想外の話で驚いたが、今のところは話を理解することはできた。
「で、レーズンの間にあるパン生地。これが「狭間の世界」っていう、凄く特殊な世界なんだ」
「狭間の世界、ですか」
「全ての世界を包み込んで、世界に合わせて己の形を変える。変化が目まぐるしくて、決まった形をとらない世界」
 あまりに壮大な話に目眩を覚えるが、それとジョーカーが何の関係があるのかが気になった。これもいつものホラ話なのだろうかと、少し疑問に思う。
「それでねえ、僕は狭間の世界からここに来たんだ」
「……どうやって来たんですか? 普通の手段では行く事は出来ないんでしょう?」
「えっへっへ、カイゼルは僕の能力をお忘れになりましたか?」
 ジョーカーは得意気な表情で「鍵」を取り出した。
「鍵で色々なものを開け閉めするんでしょう、それぐらい覚えてますよ。……ふむ」
 カイゼルは眉間にしわを寄せてジョーカーの鍵を睨んだ。あらゆる事象を開閉する鍵。あらゆる事象、それこそ――
「世界を隔てる壁をその鍵で開いたとか、そんな事を言うんですか」
 まさか、という思いだった。ところがジョーカーは目を丸くして「どうして分かったのさ」とあっさりとカイゼルの予想を肯定した。
「そうだよ、僕の鍵なら色々な世界を渡り歩ける。ここに来る前も、色んな世界を見てきたよ」
「……にわかには、信じがたい話ですね」
「でも本当の話だよ。ま、信じるも信じないもカイゼル次第だけどねー」
「……ジョーカー君は、何故この世界に来たんですか?」
 世界はここ以外に沢山あるという。偶然でここに来たとしても、亡霊退治という面倒な事に首を突っ込むとは考えられない。
「狭間の世界に住んでる僕の友達がね、この世界が大変だから何とかしてくれって言うんだ。だからここに来て、カイゼル達に協力してるってわけ」
「友達、ですか」
「また機会があったら紹介するよ。物知りで美食家でちょっと面倒くさい奴だよ」
 そろそろ交代の時間じゃない? とジョーカーは立ち上がった。確かに交代の時間になっていたため、カイゼルも引き止めなかった。ただ一言、テントに入りかけて頭隠して尻隠さずの体をなしているジョーカーに言った。
「君が来てくれて助かりましたよ。君がいなければ、こうして順調に旅を進めるなんて事はできませんでした」
 応答のつもりなのか、ジョーカーは足をばたばたと振ってからテントの中にするりと入り込んだ。

 ジョーカーが消えて静けさを取り戻した夜の中、カイゼルはたき火に手をかざした。ほどよく温まった手でレーズンパンを取り出して一口かじった。かじりながらも、頭は今しがたジョーカーが言った情報を整理していた。あまりにもスケールが大きい話でカイゼルの理解を超えていた。
「……理解できないというのは、どうにも悔しいですね……」
 夜空を見上げた。満天の星が輝く空はいつ見ても美しい。この星の数よりも多くの世界があり、全ての世界を包み込むように「狭間の世界」は形を変えながらも存在している。
 行ってみたい。調べてみたい。
 カイゼルの研究者としての本能が首をもたげたが、すぐにその思いは振り払った。
「先にやるべき事をやらないと」
 二張りのテントに目を向けた。一方ではネーロとリタが、もう一方ではオーロとジョーカーが寝息を立てている。束の間の平和なひとときにカイゼルは目を細めた。

――皆で紅茶を飲めるのは、あとどれぐらいなのだろうか。

 カイゼルの呟きは、夜空に吸い込まれて消えた。

←Back Next→