四鬼の街 第十話「莫逆の友」

 繊細な装飾が施された木製の扉を押し開けると、玄関ホールと思しき吹き抜けの空間が広がっていた。通路の奥、二階へと上がる大階段まで薄汚れた絨毯が伸び、通路の左右には等間隔で石柱が建ち、木製の扉が左右対称の位置で口を閉じている。見上げると大きなシャンデリアが屋敷の天井からぶら下がり、ササメとアキナガを歓迎するかのようにきいきいと金属質な音を立てていた。
「見事なものだな」
 そう呟くアキナガは既に剣を抜いていた。釣られてササメも懐から銃を取り出す。
 かつては非常に豪勢な屋敷だったのだろう。凸凹を感じさせない石造りの床を見るだけで分かる。等間隔で立つ石柱も歪みは一切見受けられず、木製の扉には玄関と同様に繊細な装飾が施されていた。
「ササメのその武器は、銃か?」
「そうです」
「ササメに化けた魔物がそれを使っていたが……なるほど、近くで見るのは初めてだ」
 アキナガはしげしげと遠慮も無く銃を見ている。
「僕みたいに非力な人でも使えるのはいいんですが、一発撃つと装填にすごく手間がかかるのが問題ですね」
「……となると、ササメが攻撃できるのは一回だけと見ていいのか?」
「もう一丁持っているので、二回だけですね」
 ササメは懐をぽんと叩いた。アキナガに手の内を明かすのは不安だったが、アスクとデスクと言う脅威に立ち向かうには自分の出来る事を伝えておかなければならないだろう。明日には帰れるのだから、この屋敷でハルミを見つけてその後でトウジを見つけたらすぐに宿に戻って部屋で引きこもっていればいい。
「そうか。じゃあ荒事は基本的に俺がこなすから、危なくなったらサポートを頼む」
「分かりました」
 ササメが頷くと、アキナガは剣を抜いたまま二階へと上がる大階段を上り始めた。大階段は壁際で左右に分かれ、二階の廊下となって玄関ホールをぐるりと回っていた。
 二階には一階と同じ場所に同じような造りの木製の扉があった。屋敷の外観から予想はしていたが、三階は無い。一階と二階で合計四つの部屋があり、そのうち一つの部屋……あるいはその先の部屋にハルミがいる。
「……どの部屋から行きましょうか」
「一階の部屋だ」
 アキナガはそう断言して大階段を下りて一階に戻った。ササメも後に続き、アキナガの目線の先――薄汚れた絨毯をよく観察した。
「絨毯の真ん中、この部分まで一定の方向に絨毯の毛が倒れている」
 アキナガが指差した先を見ると、確かに絨毯の毛が玄関から大階段に向かって倒れている。
「大階段、そして二階の絨毯の毛はこうなっていなかった」
「……つまり、何か大きなものがこの絨毯の上を引きずられて、この辺りで絨毯から離れたと?」
「しかも、話に聞く双子がここに住んでいると言うならば『何か』が引きずられたのはつい最近の事だ。誰かが住んでいるのなら、何日も前の痕跡がこうして玄関ホールに残っているはずがない」
 ササメは左右の扉をちらりと見た。一定の方向で倒れている絨毯の毛は終点の辺りではぐちゃぐちゃに乱れていて、どちらに向かったかまでは分からない。
「……どの部屋に運ぶかまでは、覚えきれていない?」
 中途半端に毛を乱すだけでは証拠隠滅とは考えにくい。一階のどちらの部屋に運ぶべきか分からず、逡巡した可能性がある。屋敷の構造を把握しきれていない住人――と考えが至った所で嫌な予感が脳裏をよぎる。まさか、と口に出かけた考えを遮ったのはアキナガの声だった。
「ここで悩んでも仕方がない。まずは右側から行こう」
 ササメの返事を待たずにアキナガは右側の扉を押し開けた。

 * * *

 扉の先に広がっていたのは、ダンスホールと思しき空間だった。玄関同様吹き抜けになっており、二階からも来られるようになっている。淡い二色の石を組み合わせて作られた床は美しい幾何学模様を描いており、円形の空間に沿って造られた緩やかな螺旋階段が一階と二階を繋いでいる。二階部分の壁はガラス張りで、外の荒れ果てた風景がよく見える。というか、ガラスも完全に割れていて肌寒い風がひゅうひゅうと駆け廻っている。
 かつては上質で美しい空間だったのだろう。流刑街と言う立地でなければ、まともな人が住んでいれば、王都の邸宅にも引けを取らない豪勢な造りだ。
 だが、ここに住んでいるのは異様な風体をした双子――そう、ダンスホールの中央に立つアスクとデスクだ。二人は突然の闖入者に動じることなくのんきな声を出した。
「あれっ、昨日のお兄さんだ」「それと鎧のお兄さん」
 何の用かな、という言葉を遮るようにアキナガは剣先を二人に向けた。
「ハルミを返せ」
「ハルミ?」「この子の事?」
 アスクとデスクが自分たちの足元に転がる女性を指差した。朱色の髪に赤と黒でまとめられた服……間違いなく、ハルミだ。
「大人しく返せば楽に殺してやる」
「あっ。どっちにしろ殺すんだ」「こわーい」
 アキナガの目の色は完全に変わっている。敵意と殺意に満ちた視線に射抜かれてもなお、二人は能天気に互いの体を軽く抱いた。どういう神経をしているのだ。
「怖いけど、この子はペットの初仕事の成果だし、はいそうですかと返すわけにはいかないね」
「暴力はやめたほうがいいよ。僕ら、びっくりしてこの子の頭を思いっきり踏み潰しちゃうかもしれない」
「……っく……!」
 アキナガの剣先が揺らぐ。
「あっ。逃げるのも駄目。僕らの事を言いふらされるとちょっと困るんだ」
 出口に向きかけたササメの足をアスクの言葉が制した。
「僕らはひっそりと生きていたいだけで、僕らの噂が広がって鎧のお兄さんみたいな妙な正義感振りかざす連中に大挙して来られると面倒なんだよね」
「僕はデスクとずうっと一緒に暮らしたいだけだし、それはデスクも同じ事」
「僕らは一心同体だものね!」
 くすくすと笑いあう二人の声色は全く同じで、その声に含まれる偏執的な愛情も同じものだった。
「……一緒に暮らしたいだけなら、何故ハルミさんを誘拐したんですか?」
 ササメの問いかけにも二人は全く同じタイミングで首を傾げた。
「二人でただ息をするだけだと退屈じゃないか」
「生きていくには暇潰しってやつが必要なんだよ?」
「暇潰しだと!」
 アキナガが一歩踏み出しかけるが、アスクが「おっと」と手を伸ばして牽制する。
「この世界で生きていく中で知りたい事は沢山あるんだ。だから、暇潰しがてら色んな人で試してる」
 デスクの手元にいつの間にか真っ黒な板のようなものが現れている。デスクの手元にも、真っ黒な教鞭がある。
「眼鏡のお兄さんには僕らがやってる事の説明はしたよね?」
「したした。じゃあ、今回はもっと詳しい話をしようか?」
「すぐに済ませても退屈だしね!」
 二人の腹の目が、実に楽しげに細められた。

「まずは理由の説明から」
「といっても大した理由じゃないよね」
 二人はまるで歌うように言葉を紡ぐ。声質そのものは澄んだボーイソプラノで美しいものだが、紡がれる言葉からは不穏な気配しかしない。
「僕らが楽しく人生を過ごすための最大の問題は、どうやって暇を潰すか? でした」
「簡単なようで意外と難しいこの問題、僕らはたまたま持っていた『これ』を使う事にしました」
 二人は教鞭と黒い板を軽く揺らす。
「何ができるかは分かっているけど、思った通りの結果を引き出すのはなかなか難しい」
「互いの体で実験するのはとっても危ない。だから、色んな人に協力してもらって法則を見つけよう」
「そう思って色々なところを渡り歩いて、今はこの家に住んで実験に励んでいるというわけなのでした!」
 ちゃんちゃん、と効果音を口で言って二人は鈴を転がすような笑い声を出す。
 確かに大した理由ではないが、気になるところも多少はある。ササメは静かに右手を挙げた。
「なあに? 眼鏡のお兄さん」
「互いの体で実験するのが危ないなら、他人の体で実験するのも危ないのでしょう? それは、問題ではありませんか?」
 実験とはヒトに悪影響が出ないよう最大限の配慮をすべきだ。学院で耳にタコができるほど教え込まれた事を思い出す。
「どこが?」
 ……が、アスクの答えは純粋な疑問符だ。デスクも同様に首を傾げている。
「僕とデスクが安全に実験できるなら、それで何の問題もないじゃない?」
「そうそう。僕の身に、アスクの身に、何かが起こる事が一番の問題なんだからさ」
「……貴様ら……!」
 アキナガがぎりぎりと歯を食いしばる。ハルミを人質にとられていなければ、今すぐにでもあの二人を容赦なく切り刻んでいただろう。それほどまでに彼の体からは殺気がほとばしっている。
「いつも一緒に日々を過ごして退屈を潰す。それだけで僕らの人生はとっても楽しいんだ」
「僕らの幸せな人生を脅かすリスクは他の人にお任せする。それの何が悪いの?」
 二人の声や仕草に悪意はない。あるのはただ、純粋な疑問だ。
 根本から考え方が違う。ササメがため息をついてうつむくと、アスクは「それじゃあ続きね」とあっさり話を切り替えた。

「次は手段の説明ね」
「口で説明するのも面倒だから、実演した方が早いね」
「実演……?」
 アキナガが一歩踏み込もうとするが、やはりアスクが手でその動きを制する。
「まあまあ落ち着いて。この子を殺すような真似はしないからさ」
「僕らが万が一この子を殺したら、僕らの事は好きにして良いよ」
「……魔物の言葉など信じられるか……!」
「あっそう。じゃあもう一歩踏み出してみる? びっくりしてこの子の頭を踏んづけちゃうかもしれないけど」
「……卑怯者が……っ」
 目線だけで人を殺せそうな怒気を放ちながら、アキナガは動きを止める。
 アスクは「いい子だね」と呟き、真っ黒な教鞭をハルミの体にちょんと当てた。
 その瞬間、ハルミの体から半透明の文字の羅列が正に爆発的と言える勢いで広がった。ササメ達が普段用いている言葉ではないが、その規則性や間隔から何らかの文字である事は分かった。文字の二重螺旋はササメの眼前にまで迫り、手を伸ばしてみるがあっさりすり抜けた。
「ヒトをヒトたらしめるもの、イヌをイヌたらしめるものは何か?」
「ヒトとイヌの違いは何か? そういうの、気になった事ない?」
 二重螺旋の嵐の奥、半透明の文字に遮られて姿は見え辛くなったが二人がまだハルミの傍に立っている事は分かる。
「答えはこれだよ」
「これがヒトを形作る情報。イヌならイヌの、ヒトならヒトの情報がそれぞれの体に刻み込まれている」
「……何を、言っているんだ?」
 アキナガが左手で半透明の文字に手を伸ばすが、ササメと同様あっさりすり抜ける。
「わっかんないかなあ。今僕らの前で広がる文字の羅列はこの子……えーと、ハルミだっけ? 彼女の体の設計図なんだよ」
「……似たような話を聞いたことは、あります」
 つい最近学会で発表された学説だ。とある豆を背の高いものと低いもの、しわのあるものとないもの、と様々な条件に分けて栽培し、それらを交配させた結果からいわゆる「子が親に似る」という事象を解説したものだ。生物学はササメの分野ではないが、興味深い発表だったのでよく覚えている。
 あれは親の特徴を子が受け継ぐと言う話だ。アスクとデスクなりの言葉に言い換えるならば、親の設計図を子が受け継ぐと言えるのではないだろうか。両親の設計図を受け継いで、ハルミの設計図が完成する。そしてその設計図は、今ササメの目の前に広がる文字の二重螺旋だ。
「眼鏡のお兄さんは何となくわかったみたいだね」
 デスクが黒い板の上に両手を乗せる。板の端からはするすると黒い線が伸び、それがハルミの体にするりと絡まった。
「見ての通り、これは僕らが使っている言葉じゃない。僕らは長い間この文字を研究してきたからある程度読めるけど、それでも分からない所の方が多い」
「これが設計図だって事が分かるのにもとっても苦労したよね」
「それで、たっぷり時間をかければ全部を理解する事が出来るんだろうけど、あんまり時間がかかりすぎるから実験をやってみようって、ね」
「解析ばっかりだと飽きちゃうしね!」
 デスクが黒い板の上でぱたぱたと指をせわしなく躍らせる。ピアノを弾くような鮮やかな動きだが、美しい音色は流れない。その代わりに、文字の二重螺旋の一部がせわしなく変化していた。
「ここに獅子の情報を入れてみたらどうなるか?」
「脳の情報部分を一文字書き換えるとどうなるか?」
「動物だけでなく植物の情報も同時に組み込めばどうなるか?」
「何と何を組み合わせたら世界一かっこいいイキモノができるか?」
 ぱたぱたぱたとデスクの指が躍り、二重螺旋が変わっていく。
「……やめろ……」
 アキナガも何が行われているか察したようだが、やはりアスクがその動きを牽制する。
「今下手に動かしたらハルミがハルミじゃなくなっちゃうよ? さっきも言ったけど、僕らは決してハルミを殺さない。信じてほしいな?」
 信じたとしても、今行われている事は殺す以上に残忍な事だ。しかし、それを止める術は無い。
「できたよ」
 デスクがぽつりとつぶやき、右手を高く挙げ、そして勢いよく振り下ろして黒い板の一点を叩いた。

 その瞬間、周りに広がっていた文字の二重螺旋はハルミの体の中に引っ込んだ。ハルミの体がびくんと大きく痙攣し、変化はすぐに現れた。
 両足が別の生き物のように跳ね、グロテスクな音と共に有り得ない方向に折れ曲がる。一見すると無秩序な暴走だが、よく観察すると別の何かが形作られていく事が分かる。
「今回のテーマは――」
 アスクが指揮者のように教鞭を振り、デスクが歌うように言葉を紡ぐ。
「――ケンタウロス!」
 目まぐるしい勢いでハルミの肉体が再構成され、それが落ち着いた頃にはハルミの姿は変わり果てていた。上半身はハルミのままだが、下半身は馬の首から下の部分に完全に置き換わっている。正に、神話の世界に現れる半人半獣の怪物……ケンタウロスそのものだ。
「さあハルミ、命令だよ。起きて」
 アスクとデスクが声を揃えてハルミの肩を叩く。するとハルミはゆっくりと目を開け、頼りない足取りで立ち上がった。下半身が馬の胴体部分と置き換わっている分だけ背は高くなり、ササメやアキナガをゆうに越える。ナツギリと同程度の巨躯だ。
「最初の仕事だよ。あの二人を殺さない程度に弱らせて」
 二人は揃ってアキナガとササメを指差した。ハルミは静かに頷き、アキナガとササメの顔を確認して微笑んだ。
「ハルミ……?」
 アキナガの声が震えている。かつてのハルミと何かが違う事は、付き合いの浅いササメにも分かった。
「僕らの命令は絶対だよ」「そうなるように書き換えたからね」
 アスクとデスクはくすくすと楽しそうに笑う。ハルミは脚の調子を確認するかのように軽く数歩歩いた後、こちらに向かって勢いよく駆け、そして跳んだ。
「逃がしませんよお」
 アキナガとササメの頭上を跳び越え、着地のついでに一階からダンスホールへ繋がる扉を蹴り壊した。がらがらと瓦礫が落ち、出口を塞ぐ。
「……ハルミ……」
 アキナガは目の前に立つハルミに向けて剣を構えたが、その切っ先は震えていた。

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