四鬼の街 第九話「火中の栗を拾う」

「あれから魔物には遭わなかったか?」
 ササメの隣を歩くアキナガが、そう訊ねてきた。
「おかげさまで、この通り無事です」
 素直に答えながら注意深く辺りを観察するが、流刑街の入り組んだ路地には人の気配がない。たまに見かける人は大体が致命傷を負って無造作に倒れていた。そのうちの何人かは、死体なのだろう。
「俺は何も出来てないさ。前回はハルミが仕留めたし、今回もハルミに誘われなかったら気付きもしなかった」
 そう言って弱弱しく笑うアキナガは、やはり根は善人なのだと感じられた。善人だが、頭がおかしい。
「手伝って下さり、ありがとうございます」

 トウジを探して欲しい、と言う頼みを快く受け入れたハルミは、まず宿に向かってアキナガに事情を説明した。
「……というわけで、アキナガさんにも手伝って頂きたいんです」
 ハルミは胸の前で両手を合わせ、小首を傾げてアキナガを上目遣いで見つめた。
「分かった!」
 実に分かりやすい色仕掛けに、アキナガは即答した。
「よし! じゃあアキナガさんはササメさんと一緒に街中を探してください! 私は現場の方を探しますので!」
「えっ」
 ハルミが笑顔でそう言い切り、アキナガはただでさえ下がり気味な眉をさらに下げた。
「あ、集合時間ですね。ではお昼時になったらここの食堂で落ち合いましょう」
「いや、一緒に……」
「では!」
 アキナガの言葉も最後まで聞かず、ハルミは輝くような笑顔を振りまいて宿屋を後にした。
「…………」「…………」
 残されたアキナガとササメはしばし沈黙し、
「……あの、宜しくお願いします」「こちらこそ」
 少しぎこちない空気を引きずりながら、出発した。

 そして街中を歩き回って今に至るのだが、収穫は無い。路地の建物の隙間から見える空は青く、腹具合を考えても昼時まではまだ少し時間があるだろう。
「……アキナガさんは、この街に来て半年程度なんですよね」
「ああ。それがどうかしたのか?」
「それより前は何をしていたんですか?」
 強い興味があるわけではないが、探索がてらの暇潰しにはなるだろう。そう考えて質問を投げた。
「それより前は、魔物を探して各地を転々としていた。最初は仲間もいたんだが、途中で死んでしまった」
「仲間がいたんですか」
 意外だ。
「故郷の村で一緒に育った奴らだ。戦士と、僧侶と、魔法使い。俺も含めて一人前とは言い難いパーティーだったけど、四人で魔王を倒すために各地を巡るのは楽しかった」
「……全員、病気か何かで?」
「魔物に殺された。ササメが襲われたのと似たような魔物で、仲間を殺した後で成りすまして『魔王なんていない。無謀な旅は止めよう』と言ってきたんだ」
「え」
 嫌な予感がした。
「最初は魔法使い。次は戦士。最後は僧侶。見た目も声も全く同じ魔物を殺すのは、流石に辛いものがあった」
「…………」
 ササメはちらりとアキナガの背の剣に目をやる。多くの魔物を屠ったこの剣は、アキナガが『魔物』と称した仲間も切ったのだろうか。
「その剣は、最初からずっと持っていたものですか?」
「いいや。とある洞窟の最深部に置かれていたものだ。長い間放置されていた剣のようだったが、今もこうして十二分に使えるのだから、かなり良い剣だ」
「……その剣を手に入れてから、何か変わった事はありましたか?」
「そうだな……暫くしてから、魔法を使えるようになった。あとは魔物から狙われる頻度が増えたな。仲間が魔物に襲われたのもこの剣を手に入れてからの事だ」
「呪われた剣なのかもしれませんね」
「恐らくな。けど、魔物を呼び寄せる呪われた剣なら好都合だ。探す手間が省ける」
 アキナガは嬉々としてそう語るが、ササメは『魔物を呼び寄せる剣』とは考えられなかった。
 怨念が染みついた品というものは、この世界に少なからず存在する。科学的に何の根拠もない、単なる偶然の結晶だと思いたいものだが、それにしても出来すぎた不幸の連鎖を引き起こす品物だ。
 恐らく、アキナガが携行する剣はそうした品の一種だろう。だからこそ洞窟の最深部に封じられていたのだろうが、アキナガがそれを持ち出した。そして、剣の怨念に徐々に精神を狂わされた。彼の性格そのものは善人だが、剣によって行き過ぎた正義感が芽生えてしまった。
 アキナガの異常に気付いた仲間は彼を正すために旅の中止を言い出したのだろう。だが、提案するのが遅すぎた。自身の正義感に合わない者は魔物と見なし、たとえ長い年月を共に過ごした友人だろうが容赦なく殺せる程に、アキナガの精神は変わり果てていた。
「……ササメ、どうしたんだ?」
 アキナガは心配そうにササメの顔を覗き込む。
 彼に悪意はない。自分は魔王を倒すために旅をする勇者であり、道中で殺すのは魔物のみ。世界平和を目指す自分を後押しする者はいれど、妨害する者はいない。いたとしたら人間の姿を借りた魔物。
 アキナガとはそういう危うさを持つ人物であり、そうなった原因はこの剣にあるのだろう。ササメはそこで思考を中断し、アキナガに対して「下らない事を考えていました」と微笑んだ。
「下らない事?」
「ええと」
 今考えた事をそのまま口に出すと魔物扱いされかねない。無難な話題を選ぶ事にする。
「今の話からは逸れますけど、アキナガさんはハルミさんの事をすごく信頼してるんだなあ、って」
「あ、ああ。そうだな。信頼している」
 ハルミの名を唐突に出されたアキナガは、目に見えて狼狽した。恋愛経験のないササメでも察せられるほどの分かりやすさだ。この調子では本人にもばればれだろう。

「……おかしい事だと思うか?」
 少しの間を置いて、耳まで赤くしたアキナガは気まずそうに呟いた。
「え?」
「全ての人間を平等に愛し、悪の権化たる魔王を殺す為各地を放浪するのが勇者だ。それなのに、たった一人の女性に執着している。勇者なのに、だ」
「……勇者も、一人の人間ですよ? 誰かを好きになるのは当たり前の事じゃないですか」
 アキナガが掲げる勇者像を体現した人物がいるとしたら、余程の聖人君子か、アキナガ以上に精神を狂わせた者しかいないだろう。
「好きな人が生きる世界を守る為に魔王を殺す、と言うのも立派な勇者だと思いますよ」
「…………」
「……なんて、言ってみたり、して」
 アキナガにじっと顔を見つめられてつい語尾を濁したが、アキナガは剣を抜く事も無く、眉尻を下げて穏やかに微笑んだ。
「……なるほど。そういう考え方もあるか」

 * * *

 粗末な十字架の前に立っていたハルミは、小さくくしゃみをした。こんなに開放的な空間では、風がいつも以上に肌寒い。そろそろ冬支度を始めなければならない。
「……それとも、誰かが噂しているんですかねえ?」
 だとしたら、さしずめアキナガとササメだろう。探索の合間に暇潰しがてらそういう与太話を始める可能性は大いにある。やるなら勝手にやっておいてくれ。それでハルミの意思が変わるわけもない。
 墓場をぐるりと見渡す。当初の予想通り人影は無く、よくよく観察すれば争った形跡が地面には残されていた。念のためその辺りの地面を掘り起こしてみたが、異形の死体が出るばかりでトウジの姿は見当たらない。
「アキナガさんが喜びそうなモノばかり」
 おぞましい死体の群れ。ササメの話から考えると、例の異形の双子がこの死体の群れや『墓守』といった珍現象の全ての原因なのだろう。アキナガにとってこれらの死体は『魔物』である事を考えると、これらを生み出した異形の双子は『魔王』に当たる。
 彼が『魔王』に相対し、そして討った時はどうなるのか少し興味がある。勇者としての役割を果たしたアキナガには何が残るのか。
 だが、今はそんな事よりもトウジの捜索を優先しなければならない。ササメの脅しは怖くも何ともなかったが、ここで恩を売っておけば後々役立つだろう。彼の悲鳴はなかなかに心地良く、恩と言う名の鎖で縛っておくのは決して損ではない。
 この辺りにトウジはいない。ならば、丘の向こう側だろう。異形の双子が住むと言う屋敷に潜入するのはリスクが高いが、丘の向こう側を確認する程度はしておこう。そこに何もいなければ、一旦二人と合流して屋敷に潜入してみれば良い。
 ハルミは軽い足取りで丘を越え、そこで足を止めた。

 丘の頂から屋敷を囲む塀までは、なだらかな下り坂が続いている。ぽつりぽつりと十字架が建てられている様は丘の手前側と大差ない。
 屋敷を囲む石造りの塀は、面が揃っておらずごつごつとした印象があり、石の隙間から伸びた蔦は既に茶色に変色していた。塀の上部はところどころが崩れている。屋敷も同じようなもので、茶色の蔦が這い屋根や壁に穴が開いている。長い間手入れをされていない事は一目で分かった。
 問題は、屋敷や塀の外観ではない。
「…………」
 正門の前に、黒ずくめの何かがうずくまっていた。汚れきって臭いも酷そうな黒い布は見覚えがある。以前、街を徘徊していた『墓守』が身にまとっていたものだ。ハルミが一歩近づくと、黒ずくめの塊はぴくりと反応して立ち上がった。
 黒ずくめの塊……もとい、黒いローブを頭から被った人物は、ハルミの姿を認識するとこちらに向けて一歩踏み出してきた。フードを頭からすっぽりと被り、余った裾で手足が隠されていると、得られる情報は非常に少ない。
「近付かないで下さい」
 警棒を抜いて構えるが、ローブの人物は躊躇することなく距離を詰めてくる。
 仕方ない。
「警告を無視する悪い子にはお仕置きですよ」
 ハルミは素早く駆けてローブの人物の胴体めがけて警棒を振るった。最初は鳩尾、次は膝、相手の動きをまずは止めてしまう。話を聞くのはそれからだ――と考えていたが、ローブの人物は一片の無駄もない動きで警棒をいなした。そのままハルミに足払いをかけようとしたが、ハルミは反射的に後ろへ跳んでそれを避けた。
「…………」
 警棒を捨ててナイフを抜く。警棒をいなした動き、そこからの流れるような足払い。一瞬の攻防で、ローブの人物が非常に優れた体術使いだと十分に感じられた。無理に跳んだ為か、足首にかすかな違和感がある。そう、無理をしなければ避けられないほどの攻撃だった。警棒で動きを止めて拷問、なんて洒落が通じる相手ではない。
「……このナイフに塗られた毒は即効性の猛毒です。激痛に苦しみながら死に至るか、大人しく捕まって知ってる事を洗いざらい吐くか、選んで下さい」
 ローブの人物は考える素振りも見せず一気に駆け寄る。
「ノータイムですか!」
 ハルミがナイフを振るうがローブの人物はあっさりとそれを避け、お返しと言わんばかりに右腕を振るう。しゃがんだハルミの頭上を、ぶんと風が唸る。そう、警棒と似たような、鉄製の何かが――と嫌な予感が脳裏をよぎったハルミの顔面を、ローブの人物の膝が容赦なく蹴り上げた。
 横に倒れたハルミの右手をローブの人物が踏みつける。取り落したナイフを拾い上げた指は、人間のものとは言い難い長さだった。
「……返して下さい」
 痛みに呻くハルミの腹を、ローブの人物は踏みつける。武器を奪い、動きを制限する。実に無駄のない段取りだ。猛毒が塗られたナイフを後方に投げ捨て、ローブの人物は右手に鈍く光る何かを持った。
 優れた体術、相手を無力化させる為の無駄の無い段取り、ローブに隠されて見えづらいが、所持する武器。全ての情報が、最悪の事実を告げていた。
「――さん」
 フードから垂れ下がっていたのは、よく整えられた金の髪。

 * * *

「……遅いですね」
「遅いな……」
 宿の食堂で昼食のパンとスープを口に運びながら、アキナガとササメは呟いた。
 昼時になったら宿の食堂で集合と決めたのはハルミだが、いざその時間になってもハルミは姿を現さなかった。宿の住人で賑わっていた食堂もピークはとうに過ぎ、今はとても静かだ。ハルミと一緒に食べようと提案したアキナガが諦めて昼食を頼んだ程に待ち続けている。
「……これを食べ終わってもハルミが来なかったら、探しに行こう」
「……はい」
 また墓場を訪ねるのは気乗りしないが、仕方ない。今日一日を乗り切れば明日には帰れるのだからと自分自身に言い聞かせた。
 案の定、昼食を食べ終えてもハルミが「お待たせしましたあ」と姿を現す事は無かった。ササメがアキナガの方を見ると、アキナガは力強く頷いて席を立った。

 墓場には見渡す限り人の姿は無かった。あちこちに地面を掘り起こしたような跡があるが、恐らく昨日トウジが死体を掘り起こした時に出来た物だろう。
「向こう側にいるのだろうか」
 アキナガは丘の向こう側を指差した。あの双子が住む屋敷の姿が見える。尻込みするササメの腕を掴んでアキナガは丘に向けて歩き出した。

 丘の頂から屋敷を囲む塀までは、なだらかな下り坂が続いていた。ぽつりぽつりと十字架が建てられている様は丘の手前側と大差なく、屋敷や塀の荒れっぷりは予想通りと言う他ない。
 ぱっと見た限り屋敷や塀の周りに異常な点は見当たらない。あるとしたら、アキナガとササメの足元に落ちているものだけだ。
「……ササメ……」
「……はい」
 アキナガが地面から拾い上げたのは、一振りの警棒だ。さらに少し離れた所には、見覚えのあるナイフが太陽に照らされて怪しく輝いていた。
 警棒が落ちていた辺りの地面には、ほんの少しだけ血が染みている。
「……多少強引にでも、三人で行動すべきだった」
 アキナガが血の染みに目を落としながら唇を噛む。警棒を握る手が、ササメから見ても分かるほどに震えていた。
 地面をよく観察すると、何かを引きずったような跡が残されていた。目で追ってみると、跡は屋敷の方まで続いている。アキナガもそれに気付いたのか、枯れた蔦の這う屋敷をじっと見つめていた。
「行こう」
 アキナガは警棒を畳んでベルトに引っ掛けて歩き出す。ササメは無言で頷いて、彼の後に続いた。

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