四鬼の街 第十三話「死中に活を求める」

「……なるほどね。状況は大体分かったわ」
 ササメの説明を聞き終えたトウジは静かに頷いた。状況を把握しきれておらず説明も不十分なものだとササメ自身はそう感じていただけに、「分かった」と頷くトウジは稀代の天才かと思えた。
「本当に分かったんですか」
「貴方の理解を超える事態が起きてるって事はね」
 念を押してみると、トウジは事もなくそう答える。分かったってそういう意味でか。
「それで、アキナガとハルミが死んで、アスクとデスクは一緒? になって化け物みたいな姿になっちゃったと」
 一緒ってのがよく分からないわねえ、とトウジがぼやくがササメにもよく分かっていない。
「ま、いいわ。相手が一人になったって分かっただけでも上出来」
「相手? アスクさんとデスクさんですか?」
 他に誰がいるのよ、とトウジはにたりと口角を吊り上げた。相変わらず凶悪な笑みだ。
「もしもの事を考えて、ササメさんにもちょっと手伝ってほしい事があるの」
「え」
「お願い」
 トウジの口調は春の日差しのように優しいが、その両手はササメの両肩をしっかりと掴んで離さない。痛みを感じるほどの力加減から、ササメに拒否権は無い事が嫌でも伝わってくる。
「……何をしろと言うんですか」
 ササメが静かにため息をつくと、トウジは両肩から手を放した。
「簡単な事よ。流刑街に帰ったらデスクを倒せそうなくらい強い人を呼んできてほしいの」
 トウジは自身の両手に目を落とし「どこまで動けるか分からないからね」とぽつりぽつり、言葉を漏らし始めた。

 アスクとデスクの二人に敗れて意識を失って次に目覚めた時、トウジは既にこの姿にされていた。目覚めたトウジに対して二人は「ペット」の仕事内容について一通り説明し、最後に「……以上。これが僕達からの命令だよ」と言って話を締めた。
「それまで話半分に聞いてただけなのに、不思議なものね」
 命令だ。その一言を耳にした途端、二人の言葉が抗いがたいものとしてトウジの脳に深く刻み込まれてしまった。トウジの感情を無視して体は勝手に動き、この姿になってから初めて人間を見つけると両手はひとりでにトンファーを握りしめた。
 体が勝手に動いてからの記憶はひどくあやふやだった。この手で昏倒させた人間がハルミである事、彼女を屋敷のダンスホールまで運んでいった事、その後この書斎で静かに休息を取っていた事。これらの大まかな流れしか頭に残っておらず、細かな情景や二人との会話は濃い霧がかかったように思い出せない。「ペットは無駄な事を覚えてはいけない」という言葉の呪縛が作用した結果なのだろう。
 トウジとしてはひどく不本意であったが、彼らが刻み込んだルールは逆らえない物である事はその時点で理解した。同時に、ルールの内容を精査する作業を始めた。逆らえないのならば、抜け道を探すしかない。
 ……その結果、基本的な生活圏は館内のみ、外出は二人に命令された場所のみ訊ねる事ができ、二人が命令した内容しかこなす事が出来ない事が明らかになった。外部との交流は禁止され、正にトウジは一切の自由が許されない「ペット」だった。
 しかし、一つだけ突破口となり得るルールがあった。

――これらのルールの適用期間は二人が生きている間とする。

 二人とは言うまでも無くアスクとデスクの事だ。二人が死ねばルールも消えてトウジも自由になる。自分達が死ぬはずがないという傲慢によるものか、自分達が消えた後も縛っておくわけにはいかないという慈善の心なのかトウジには分からない。そんな事はどうでもいい。問題は「二人」という言葉だ。
 アスクとデスク、どちらか一方が死ねばルールは消えるのか? それとも、二人揃って死ぬまで消えないのか?
 どちらとも取れる言葉だ。
 トウジは二人に牙を向ける事が出来ないが、誰かがどちらか一人でも殺してくれたら。
「そう思ってた矢先に、貴方が来たって訳よ」
 話を聞く限りでは、アスクが死んだかどうかは分からない。ルールが未だに効いているのかどうかも、実際に館外に出てみない限り分からない。今のままでは不確定要素ばかりだ。
「……解放されてたらベストなんだけど。もし、まだ自由に動けないとしたら……その時の保険として、ササメさんには強い人を呼んでほしいの」
「自分が自由になるために、強い人にデスクさんを殺して貰う、って事ですか」
「本当は私があの子達を殺したいんだけど、こうなっちゃったらね」
 トウジはちらりと入口の方に目をやる。本棚に阻まれて扉は見えないが、感覚を研ぎ澄ませればひたひたとデスクが近付いてくる音が肌で感じられそうだ。
「殺したいって……二人の血が美味しそうとか、そんな理由ですか」
「違うわよ。遊び感覚で沢山の人を玩具にして罪悪感を欠片も感じてない態度が許せないの」
 血を味わう為に人をいたぶり殺すのと何が違うのだ。口には出さなかったが、態度には出ていたのだろう。「言っとくけど私は悪い事してるって意識はあるわよ」と釘を刺してきた。
「それに、あの子達がやってる事は人間の体を弄んで尊厳を踏みにじる行為よ。聖職者として見逃すわけにはいかないわ。天罰を下さないと」
「……トウジさんは妙なところで責任感がありますね」
「妙なところは余計よ」
 こつん、とササメの頭を小突くその手は獣の毛に覆われていて、ああこれは現実なんだなと今更実感した。

「さて、お喋りの時間もそろそろ終わりね」
 トウジは足音を立てずにほんの少しだけ移動し、部屋の角近くにある窓を指差した。
「ここから出られるわ」
「……二階ですよ?」
 窓からの脱出はササメも考え、そして不可能と判断した手段だ。まさか飛び降りろと言うんじゃないだろうなこの僧侶は。
「この窓の辺りに生えてる蔦はまだ若いわ。ササメさんみたいなもやしっ子一人なら支えきれるはずよ」
「もやしっ子……」
 ひどい言い草だが否定できない。
 トウジは窓の下でしゃがみこみ、「乗りなさい」と自身の肩をぽんぽんと叩く。このままもたもたしていても仕方がない。ササメは一度深呼吸をしてトウジの肩に足を乗せた。

 窓の外には確かに蔦が縦横無尽に這っていた。ササメの手が届く範囲の蔦はどれも生命力が感じられる若草色で、少し離れた場所……隣の窓の辺りに這う蔦はやや頼りない色合いだ。
「……ううっ……」
 確かに、窓から脱出するならここしかない。ササメは震える手で手近な蔦を何本か握り締め、窓から身を乗り出した。

 * * *

「――親父さん!」
 宿に戻ってすぐにササメはカウンターに駆け寄った。その奥で皿を磨いていた宿の亭主は、さほど驚いた様子も無く「どうしたんだ、その恰好は」と答える。
「蔦に絡まって宙吊りになりかけたりあと少しの所で蔦が切れて落ちたりしただけです」
「お前は何を言っているんだ」
 宿の亭主は大袈裟に肩をすくめる。この程度の事は日常茶飯事なのだろう。
「いやそんな事はどうでもいいんです! ナツギリさんはいますか?」
「朝から出かけてるな。仕事は受けてないみたいだから、街中をほっつき歩いてるんじゃないか?」
「そうですか……」
 宿に残っていてくれればベストだったのに。ササメはがっくりと肩を落とし、懐の拳銃の重みを確かめてから踵を返した。
「どこに行くんだ?」
「ナツギリさんに用事があるんです」
「帰ってくるまで待たないのか」
「急ぎの用事なんです」
 ササメはそれだけ言い残して宿を後にした。

 ナツギリはどこにいるのか。
 流刑街は決して大きな街ではない。歩いて観光していても一日で町中を歩き尽くしてしまうだろう。……そう、普通の町ならば。
 馬車から降りて宿に辿り着くまでの僅かな距離でチンピラに絡まれるこの街では、歩いて観光なんて呑気な真似は出来ない。目安をつけ、誰にも見つからないよう慎重に、見つかれば逃げながら探すしかない。
「……ナツギリさんなら……」
 彼の性格はおおよそ把握できている。街をぶらついているのも物騒な相手と殺し合いをする為だ。
 ならば、この街の中でもとりわけ治安が悪そうな場所――路地裏を探せばいい。ササメは宿の傍から伸びる細い道に早速足を踏み入れた。

 帰り道を確認しながら慎重に、なるべく足音を立てないように歩を進める。今更だが、流刑街は路地裏までしっかりと整備されている。辺境の街でこれは珍しい事だ。建物も存外しっかりした造りで、よくよく観察すると歴史の重みがなんとなく感じられる。
 なるほど、確かにこの街の成り立ちは興味深い――ふと、ササメは足を止めた。見覚えのある家がササメの目と鼻の先に建っていた。あの時は無我夢中で逃げたものだから道のりは全く覚えていなかったが、この家は間違いなく彼女の家だ。
「ハルミさん……」
 彼女に出会い、睡眠薬を盛られて拷問されたのはずっと昔の事のように思える。しかし冷静に数えてみるとたった数日前の事で、あの時彼女は輝くような笑顔を浮かべていた。
 アキナガもそうだ。たった数日前、ササメを魔物と認めるまではハルミとは違う気が弱そうな微笑みをよく浮かべていた。
「……アキナガさん……」
 彼らはもういない。恐らく死体はデスクによって平らげられ、彼らがこの世に存在した証拠はダンスホールに残る血だまりと、この家しか残っていない。嘘だと思いたいが、これは現実だ。
 ササメはハルミの家に軽く頭を下げ、路地裏をさらに奥へと進んでいく。
 今のところ、幸いにも誰ともすれ違っていない。正確に言えば誰かと遭遇はしているが、全員が血を流して地面に伏していた。生きているのか死んでいるのか分からないが、仮に生きていたとしても長くは無いだろう。
 勘に任せて路地を進んでいるうちに、少しずつ血の臭いが濃密になっていく。初めて流刑街に来たころのササメなら吐いていたのだろうが、今は「血の臭いがするな」と思うだけだ。王都に住む文化人としてこの鈍感さは歓迎すべきものなのかどうか、わからない。
 曲がり角の先からぐちゃり、と生々しい音が響く。感覚を研ぎ澄ませると、野生動物の様な荒々しい気配がすぐそこにある。ササメは深く息を吸い、角を曲がった。

「……何だ、てめえか」
 曲がり角の先にいたのはナツギリだった。彼の手は真っ赤に濡れており、その右手は見知らぬ男の首を掴んでいる。ナツギリが手を放すと男の体は糸が切れた人形のように地面に倒れた。恐らくもう、息は無い。
「邪魔だ。とっとと失せろ」
 ナツギリの呼吸はやや荒く、体のあちこちに細かな傷が付いている。それでも彼の表情は明らかに高揚しており、同時に単なる障害物であるササメにほんの少し苛立っている事が見て取れた。
 彼がその剛腕を振るえばササメなど簡単に死んでしまうだろう。だが、ササメは退かずにナツギリの気を引くに足る言葉を放った。
「トウジさんが倒されました」
「あ?」
 ナツギリの苛立ちが一瞬で霧散する。ナツギリは粗暴で品が無く獣じみた雰囲気を持つ男だが、考えている事は至極単純で分かりやすい。彼が求めるのは強者との殺し合いであり、今まで一度も勝てなかったトウジを討ち倒した者は強者と呼ぶしかないだろう。
「そいつはどこにいる?」
 ナツギリがササメの胸ぐらを乱暴に掴む。思わず悲鳴が漏れた。
「……墓地の先の、崩れかけた屋敷です」
「墓地だあ? どこにあんだよ、それ」
 空いた手で頭をがっしりと掴まれる。彼と初めて会った時に見た、頭を壁に叩きつけられて死んだチンピラの姿がふと脳裏をよぎる。それだけでササメのなけなしの勇気は消え失せてしまいそうだ。
「や、宿屋の前の道を真っ直ぐ行って二番目の交差点を左折して……」
「……チッ」
 ナツギリの両手がササメから離れる。助かったと思うもつかの間、次の瞬間にはササメの体はひょいと担ぎ上げられてしまった。
「案内しろ。道を間違えたら殺すし、今の話が嘘だとしても殺す」
「……は……はい……」
 同じ人間とは思えない強健な体つきは非常に恐ろしいが、同時に頼もしくもあった。

 * * *

「てめえを少し見直した」
 墓地へ向かって真っ直ぐに駆けながら、ナツギリはぽつりと呟いた。
「えっ?」
 ササメは彼の肩に担がれて身動きが取れない状況にあったが、意外な言葉にほんの少し顔を上げた。
「あんな約束ほっぽりだして逃げ帰るかと思ってたからな」
「約束?」
 ササメは慌ててここ数日間の記憶をひっくり返し、アキナガとハルミの両者と一戦を交えた日の事を思い出した。
 そうだ、あの時のナツギリは殺し合いを中断されて酷く不機嫌だった。この不満の責任を取れと彼が提示した条件は「用事を済ませて帰る前に代わりの獲物を紹介する事」だった。さもなくば殺すとも言われていた。
 非現実的な状況の連続に追いやられてすっかり忘れ去っていた事だが、とりあえず話を合わせる事にする。
「……逃げ帰ったら地の果てまで追って来て殺されそうでしたから」
「てめえなんかに、んな手間がかかる事はしねえよ」
 ナツギリはからからと笑う。先程までの「運動」とこれから会う強者を想像してか、随分と機嫌が良い。
「これから殺し合いをするって言うのに、ご機嫌ですね」
「殺し合いするから、だろ」
 予想通り、事もなげにそう答える。やはりナツギリの嗜好はさっぱり理解できない。

 墓地に辿り着き、ナツギリは辺りをぐるりと見回して「あれか?」と丘の向こうに見える屋敷を指差した。ササメが無言で頷くと、ナツギリは「よし」とササメをその場にぽいと捨てるように降ろした。
「もう帰っていいぞ」
 それだけ言うと、ナツギリはササメから背を向けて歩き出す。
 デスクを倒しうる強者を屋敷に呼び、偶然ながらナツギリとの約束も果たした。確かに、これでササメの役目は終わりだ。宿に帰って自室にこもっていても咎める者は誰もいない。
 ――しかし。
「……ついて行きます」
 ササメは一歩踏み出した。振り向いたナツギリの値踏みするような視線には思わず目を逸らしたが、足は前に向けたままだ。
「俺はてめえを守る気はねえし、邪魔したら殺す」
「承知の上です」
 ササメは懐から銃を取り出し、グリップを両手で握り締めた。
「ナツギリさんが勝つにしろ負けるにしろ、見届けさせて下さい……死にそうになったら逃げるかもしれませんが」
 気弱な一言を付け足してしまったが、ササメの頭の中から「逃げる」という選択肢は消えていた。今のところは。
 どうせこの日を乗り越えれば明日の昼には馬車が来て平穏で文化的な王都に帰れるのだ。あと少しだけ勇気を振り絞り、最後まで付き合おう。
 ナツギリは暫くの間無言でササメの全身を観察していたが、屋敷の方向へ視線を戻し、
「勝手にしろ」
 と、ざくざくと土を踏みしめて歩き出した。
「勝手にします」
 彼から数メートルほど距離を置き、ササメも屋敷に向けて足を動かした。

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