四鬼の街 第四話「薬も過ぎれば毒となる」

「おはようさん。今日も一番乗りだな」
 朝食を食べる為に階下に降りたササメを宿の亭主は出迎えた。カウンターの向こう側でレタスを手でちぎっている。
「他の人と一緒に食べるのは怖いですから」
 カウンターの椅子に座り、ササメは正直に答える。流刑街の住民は深夜も街を徘徊している事が多く、その分朝が遅い。彼らとの無用なトラブルを避けるために誰も起きていないうちに朝食を済ませてしまうのは、当然の対策と言えた。
「今日はどちらへ?」
 宿の亭主はちぎったレタスを皿に盛ってパンと共にササメの前に置いた。サラダと言うにはあまりにも貧弱だが、野菜を調達できているだけましだと宿の亭主は言う。
 マヨネーズやドレッシングといった調味料もない。ササメは小さくため息をついて生のレタスをかじった。
「どこに行くべきか迷っています」
 建物を探すにしろ地理に明るい人を捜すにしろ、命を懸けて外に出なければならない。わがままが許されるなら、今すぐにでも王都に帰りたい。
「正直に言って、お前が一人で外出するのは勧められんな。ただでさえ頼りないのにその怪我だ。襲って下さいと言っているようなものだぞ」
「知ってます……」
 王都にいた頃ですらいじめられたりチンピラに絡まれたりしたのだ。こんな街で、左手とこめかみを負傷した状態で歩けば鴨が葱どころか鍋や出汁や酒を背負って歩いているようなものだ。
 だからと言って、信頼できる同行者を見つけられるわけがない。ナツギリはふとした拍子でササメを殺しかねないし、トウジは言うまでもない。
 どうしたものか……と考えていると、宿の階段の方から声がした。
「何か困り事か?」
 声のした方に目をやると、そこには一人の青年が立っていた。

 童話の世界から抜け出してきたような青年だった。
 くすんだ黄土の髪に宝石のようなものが埋め込まれた額当て。薄灰色の鎧が全身を覆い紫のマントが彼の動きに合わせて揺れる。背には一振りの剣が収まっており、柄の装飾を見るだけで安物ではないことが分かる。
 まさに童話で見る「勇者」そのものの格好をしているが、眉は八の時で眼下には濃い隈が浮かんでいた。どれだけ鎧に身を包もうとも顔つき一つでこうも頼りなくなるものかとササメは密かに感心した。
「アキナガか、おはよう」
 宿の亭主は青年をアキナガと呼んでにこやかに挨拶をした。
「おはようございます」
 ササメも一応挨拶をしておく。アキナガは「ああ、おはよう」と弱々しい笑みを浮かべてササメの隣に座った。
「それで、どうしたんだ?」
「はい?」
 アキナガは宿の亭主からサラダとパンを受け取りつつ、ササメに問いかけてきた。
「困り事があるんだろ? 俺で良ければ手伝うぞ」
「…………」
 一見すると彼は安全そうに見える。しかし、軽はずみに話をして心を開いていいのだろうか?
「大丈夫。悪いようにはしないさ」
 アキナガは弱々しく笑う。それでも警戒を解かないササメに宿の亭主が言葉を挟んだ。
「こいつは悪い奴じゃない。今、うちの宿にいる面子の中じゃ比較的温厚な部類だ。しかも腕はそれなりに立つ」
「比較的温厚、ってひどいな。俺はいつも人に優しくしてるだろ?」
 アキナガは苦笑する。どう見ても気が弱い善人にしか見えない彼の様子から、ササメはとりあえず話をしようと決心した。

「……なるほど。事情は分かった」
「何か、心当たりはありますか?」
 ササメはわずかな希望を乗せて質問を投げかけてみるが、アキナガは首を横に振った。
「俺はこの街に来てまだ半年程度だ。街に住むことが目的じゃないし、詳しい事は全く知らない」
「そうですか……」
「街の探索への協力ならできる。ただ、今日は先約があるからその後か、もしくは明日なら大丈夫だ」
「先約?」
 ササメが首を傾げると、アキナガは眉間にしわを寄せて己の眼前で指を組んだ。
「魔物退治だ」
「……はい?」
 唐突に現れた不自然な単語にササメはますます首を傾げた。
「この街の近辺に魔物が出たんだ。人間に害をなす魔物は早急に退治するのが勇者の勤めだろう?」
 絵空事のような話をしているが、アキナガの目は真剣そのものだ。
「ササメがどこから来たのか俺は知らないけど、魔物という驚異は確かに存在する。信じられないのなら一緒に来るといい。……いや、来るべきだ。魔物の存在は周知されるべき事実だからな」
 アキナガは唐突に立ち上がり、宿の亭主に朝食代を渡した後にササメの腕を掴んで強引に立たせた。
「え」
「さあ行くぞ! 大丈夫、俺が守るからササメは魔物がいるという現実をしっかりと見ていてくれ!」
「え、ちょ、あの」
 ササメの返答も聞かず、アキナガはササメの腕を掴んだまま宿から飛び出した。
(……この人も危ない……)
 ナツギリやトウジと比べて善人なのかもしれないが、大真面目な顔で勇者や魔物の話をし、人の話も聞かずに走り出す。今すぐに危害を加えてくる事はないのだろうが、恐らく精神を病んでいる。十分に危険人物だ。

 * * *

「この辺りだ」
 ササメの問いかけを無視して歩き続けていたアキナガは、そう言って唐突に立ち止まり、ササメを掴んでいた手を離した。
 ようやく自由になったササメは辺りを見回す。町の中心部からは随分と離れており、民家も人気もない。からからに乾いて痩せた丘に木製の十字架が点々と突き刺さっている。辺りには痩せこけた枯れ木しか立っておらず、十字架に用いた材木は別のところから調達したのだろう。十字架には何か文字が刻まれているが、ここからは読みとれない。
 丘の向こう側には大きな屋敷が建っているが、これまた人の気配は感じられない。近くまで歩いて行かないと詳しくは分からないが、蔦が這う窓や穴が開いた屋根を見る限り、廃屋と言って差し支えはないだろう。
「……墓?」
 文字が刻まれた十字架が林立している場所と言えば、墓しか思い浮かばない。非常に殺風景で終末を連想させる雰囲気だが、そうなのだろう。
「流刑街で亡くなった人達を弔う場所だ」
「誰が弔っているんですか」
 縁者がわざわざここまで弔いに来るとは思えない。ササメの疑問にアキナガは「墓守がいたんだ」と答えた。
「あの屋敷に住んでいて、毎日街を歩いて、死体があればここまで運んできて弔っていた。いつも大きなローブを着て顔を隠していたから、彼の姿は遠くからでもよく分かったよ」
「……墓守が、いた?」
 そんな酔狂な行為に走る者がいるのは意外だが納得できないわけではない。死体に性的興奮を抱く者もいるのだ。目的は何であれ、見ず知らずの死体を集める者がいても不思議ではない。
 それよりも「いた」と過去形を用いるのには何か訳があるのだろうか。
「おそらく、魔物に殺された」
 アキナガは辺りを注意深く見回しながら呟いた。
「墓守を殺した魔物共は街をさまよい歩き、死体を見つけてはねぐら……おそらく、あの屋敷まで持ち込んで食い荒らしている」
「それじゃあ、これから屋敷まで行くんですか?」
 魔物退治なのだからねぐらを叩くのだろう。ササメはそう思ったが、アキナガは首を横に振った。
「ここまで来れば奴らの偵察がやって来る。今回はそれを退治する事で奴らがどれだけの力を持っているのか測るんだ」
 アキナガは背の剣を抜き、屋敷が建つ方角をじっと睨んだ。アキナガの意志を反映するかのように剣は怪しげに輝く。
「命は一つしかない。教会で祈れば死者が蘇るなんて事もない。だから、慎重に被我の実力差を測り勝てる戦いに持ち込む必要がある」
 丘の向こう側から、たくさんの黒い影が姿を現した。アキナガが挑発するように剣の刃先を揺らすと、黒い影の群れは一斉に丘を降りてこちらへ向かってくる。
「命を大事に……かつ、世界を平和に導く為の戦いに身を投じる。それが、勇者と言うものだ!」
 アキナガはマントを翻し、黒い影の群れに正面から突っ込んだ。

 黒い影の正体は犬のような体躯の四足歩行の動物だった。ばうわうと吠える声は犬そのものだが、大きく裂けた口は人の頭は簡単に飲み込めそうで、八つの瞳がらんらんと赤く輝いていた。早い話が、まともな生物ではない。
「俺の名はアキナガ! 流刑街の人々の安寧を脅かす魔物共よ、覚悟を決めろ!」
 あの街に安寧なんてあるのか。
 ササメの胸中などお構いなしに、アキナガは大口を開けた魔物に向けて剣を振るった。
 アキナガの剣は開いた口の中、上顎と下顎の間に入り込む。そのまま振り抜かれた剣は魔物の頭部の上半分を綺麗に切り離した。一瞬の間を置いて傷口から血の花が咲き、アキナガの顔や右手にまだらな模様を描く。
「次!」
 仲間が倒されたことにより、魔物は完全に戦闘態勢に入った。刃先を向けられた魔物は敵意をむき出しにした唸り声をあげ、アキナガに飛びかかる。
 巨大な口から繰り出される噛みつきを一度でも受けたら致命傷になるだろう。しかしアキナガの動きには死に対する恐怖は欠片もなく、素早い動きで魔物の首を落とし、胸を貫き、四肢を削いだ。
 踊るようにマントが舞い、ササメが呆然と様子を見る中で着実に魔物の数は減っていく。
 このまま魔物をせん滅できるのではないか――そう思ったが、アキナガの剣がふと止まる。
「……っ!」
 いつの間にか、魔物の群れがアキナガを取り囲んでいた。ぐるぐると唸り声をあげる魔物達は、完全に統制が取れているように見える。
「アキナガさん」
 全方位から一斉に攻められると、流石のアキナガでもひとたまりもないだろう。ここで大声を出して一部の気を引くことが出来れば突破口になるのだろうが、か細い声しか出なかった。
「……それで追いつめたつもりか」
 ぐるりと辺りを見回したアキナガは不適に笑う。全身に返り血を浴び、目を見開いて笑うアキナガの顔はまるで狂人のようだった。
 アキナガは剣を真っ直ぐに天に向ける。剣から滴り落ちた血がアキナガの右腕を伝って落ちる。
「大いなる火と稲光の神の加護を以て、汝らに救済の光明をもたらさん――」
 剣が一瞬だけ赤い光を帯びた気がした。
「――救済の火狼(ヴィートス・ライヌルフ)!」
 アキナガが剣を両手で持ち地面に突き刺した。

 変化は魔物達に現れた。魔物が突然飛び退いてアキナガを中心に円を描いていた列が乱れた。飛び退かなかった魔物も唸り声をあげながらも数歩下がる。
「……何だ?」
 場には何の変化も起こっていないのに、魔物は明らかに何かを恐れている。飛び退いて逃げ出そうとした魔物が退路に立ちふさがる「何か」に文字通り飛び上がり、アキナガに向けて弱々しい唸り声をあげた。
(何かに挟まれている……?)
 進む事も出来ず、戻る事も出来ない。魔物達の様子は明らかにその状況を物語っていた。「何か」によって追いつめられた魔物達は次第に一所に集まっていく。
「どれだけ魔に染まろうとも、獣は獣だな」
 地面から剣を引き抜き、アキナガは魔物達に一歩ずつ歩み寄っていく。魔物達は一様にぐるぐると唸るが、飛びかかろうとする者は一匹もいない。
「覚悟しろ」
 アキナガはにいいと笑って魔物の群に向けて剣を振るった。

 そこから行われた事は、虐殺と言っても過言ではなかった。
 何かに囲まれ身動きが取れない魔物達に対し、アキナガは容赦なく太刀を浴びせていく。中にはアキナガの腕に噛みつく者もいたが、怯えた獣の牙は腕当てを貫くに至らない。
「世に害なす魔物は死に絶えろ。お前達が死滅しないと、この世に真の平和は訪れないんだ」
 アキナガは目を見開き、ぶつぶつと似たような事を呟き続けていた。
「死ね……死ね、死ねッ! あはははははははははは!」
 ササメは逃げる事も近寄る事も出来ず、ただアキナガを見ている事しかできなかった。

 * * *

「ササメ、終わったぞ」
 全てが終わり、アキナガは宿で見た時のような弱々しい笑顔でササメに呼びかけてきた。
「…………」
 ササメは何も言わずにアキナガの傍まで歩み寄る。血と油の臭いが鼻につく。
「こいつらが魔物だ」
 アキナガが剣で示したのは、つい数分前まで犬のような姿をしていた魔物の残骸の山だった。真っ赤な肉と、白い脂肪と、黒い毛皮と、赤い瞳と、白い骨。
「近くでよく見るといい。これが、この世の平和を脅かす魔性の化物だ」
 アキナガに促されて残骸の山に一歩歩み寄る。山の中の生首を見ると、左右に四個ずつ並ぶ赤い瞳も、耳の根本まで大きく裂けた口も、生物の倫理から外れた異様さが感じられた。山から突き出た脚も、指の本数が異様に多い。それに――
「うっ……!」
 生々しい死の臭いに胃の内容物が一気にせり上がる。こらえる暇もなくその場に今朝食べたものをぶちまける。
「ふっ……う……っは……」
 呼吸をすると死の臭いが大挙して押し寄せる。空になった胃が拒絶反応を起こし、胃液を吐き出させた。
「大丈夫か? ここから離れるか?」
 アキナガの問いかけにササメは何度も頷いた。口を開くと内蔵全てを吐き出してしまいそうだ。
「分かった」
 アキナガはササメの肩を抱えて街に向けて歩き出す。アキナガの体にも死の臭いは染み着いている。ササメは出来る限り顔を背け、浅い呼吸を繰り返した。

「気分はどうだ?」
 気が付くと墓場ではなく街中にいた。ササメは民家の壁にもたれ掛かるようにして座っており、アキナガはその隣に立っていた。返り血にまみれた彼の姿が、あの死体の山は嘘ではないと言っている。
「……多少は、まし、です」
 アキナガの方を見ると死の臭いが襲ってくるような気がして顔を背けた。
「あの臭いに慣れていないとは知らず、悪い事をした」
 すまない、とアキナガは素直に頭を下げたのが視界の端に映る。
「でも、これで分かっただろ? 魔物は存在して、この世の平和を脅かしているって事がさ」
「……はい……」
 色々と言いたいことはあるが、口に出す気力はない。
「あの程度なら、屋敷に乗り込んでも何とかなりそうだ。日を改めて突入するが、ササメはどうする?」
 この様子を見ても「連れて行く」なんて選択肢が残るのか。ササメは内心で呆れながらも首を横に振った。
「そうか……。ああ、そうだ! その前にササメの手伝いをしないとな! 丁度街中にいるし、これから探索するか?」
 ああ、そう言えば確かにそんな話だった。虚ろな頭を必死に働かせてどうにか言葉を構築していく。
「……どうにも気分が悪いので、今日は、もういいです。明日、お願いできますか」
「よしきた。それじゃあ、宿まで送ろう」
 アキナガは再度ササメの肩を支えて立ち、宿に向けて歩きだした。
 ナツギリやトウジと比べてアキナガは優しい。だが、彼らとはまた違う不気味さが彼にはあった。
 魔物を屠る時のアキナガの表情と笑い声が、脳裏にこびりついて離れない。

 宿に帰ってきたのは昼を少し過ぎた頃だった。個室まで送ってもらい、礼を言って扉を閉めようとした。
「気分が良くなったら、今晩、一緒にご飯を食べないか?」
「……はい……?」
 今はご飯の事を考えられる状態ではない。
「食欲が沸かなければ来なくてもいい。ただ、ササメと話がしたいだけなんだ。個人的な興味だし、無理ならはっきり言ってくれ」
「…………」
 どう答えるべきか頭が働かない。とりあえずは、断らず先延ばしにするべきだろう。
「……じゃあ、もし食欲が沸いたら一緒に食べましょう」
「ああ、分かった。それじゃあまた」
 アキナガは弱々しい笑みを浮かべ、ササメも同じような笑みを浮かべて部屋の扉を閉めた。

←Back Next→