四鬼の街 第七話「弱り目に祟り目」
翌朝、ササメを浅い眠りから覚ましたのはこんこんと扉を叩くノックの音だった。
のそのそとベッドから這い出して扉の前で耳を澄ませる。宿の亭主がわざわざ起こしに来るはずがない。
「……どなたですか?」
問いかけに対して返ってきたのは聞いた事のある声だ。
「アキナガと言う者だ。危害は加えないから、まずは扉を開けてほしい」
「…………」
昨日の今日で「危害は加えない」と言われても説得力が無さ過ぎる。しかし放っておけばまた魔物扱いされかねない。仕方なく銃を片手に扉をほんの少しだけ開けると、そこにはアキナガが気の弱そうな顔つきで立っていた。
「初めまして。昨日は災難だったな」
「……はい?」
首を傾げる。昨日の一連の騒動など無かったかのようなこの態度は何なんだ?
「魔物にさらわれてよく無事でいられたものだ。ハルミに感謝しないとな」
「…………」
アキナガの言っている内容が分からずに沈黙していると、彼はそれを恐怖心と解釈したようでさらに言葉を続けた。
「安心しろ。魔物はハルミが無事に処分した。二度と君を襲う事は無い」
「ハルミさん、が?」
「魔物退治は俺の専門分野だが、今回ばかりは運がハルミに味方したようだ」
彼の言葉とハルミが昨日言った「ササメが人間であると口添えしてもいい」という言葉を思い出してまとめてみると、話が見えてきた。
どうやら「昨日行動を共にし、仕留めようとしたが逃げおおせた魔物」はハルミが改めて発見して処分した事になっているらしい。ササメに拷問を仕掛けてきた彼女がこんな嘘をつくメリットが見えないが、ともかくこれでアキナガに殺される危機は免れた。
「……ハルミさんには、お礼を言っておいてください」
「ああ」
アキナガは弱弱しく微笑むと「では」と踵を返した。
そこでふと嫌な予感が頭をよぎり、反射的にアキナガを呼び止める。
「ナツギリさんにも声をかけるつもりですか?」
「そのつもりだ」
「やめておいた方が良いですよ」
ナツギリはまだ眠っているからとか、そんな問題ではない。
ナツギリに昨日の話を振れば、ハルミが魔物を処分したと言う話が嘘だと判明する可能性が高い。馬鹿正直で争いを好むナツギリなら大いにあり得る。というか、この嘘を理解して話を合わせられるほどの知能が彼にあるとは思えない。
「昨日の魔物騒動でハルミさんに助けられたのが気にくわなくて苛立っているようです。下手に話を蒸し返したら何をされるか分かりませんよ」
即興で考えた嘘をつくが、アキナガは信じたようだ。
「そうか……一度顔を見ておきたかったが、それなら仕方ないな。教えてくれてありがとう」
アキナガはぺこりと頭を下げ、階下に向けて歩いて行った。
彼が階段を降りた事を確認してから、ササメは部屋の扉を閉めて大きくため息をついた。
「……助かった……」
* * *
それから数日間、ササメは外出を必要最低限にして部屋の中でじっと過ごした。非常に退屈な時間だったが、生きているだけましだ。銃の手入れや怪我の様子見、人生設計の立て直しでどうにか日々を過ごした。
「ササメ宛てに郵便だぞ」
ある日の朝、宿の亭主がササメに封筒を寄越してきた。早速封を切って中身を確認すると、案の定数日前に出した郵便の返事だった。行商人に頼むのはいささか不安だったが、きちんと届けてくれたようだ。
「……明後日の正午、この宿の前……」
文面は非常に素っ気ないものだが、帰りの馬車の日時が確定した事はササメにとって希望の光だった。
帰ってからの生活がどうなるかは分からない。先生に見限られるかもしれないし、ろくでもない仕事にしか就けない可能性もある。
しかし、それがどうした。パンを食べて、息をして、働いて、金を稼ぐ。それだけで十分ではないか?
「……図太くなったもんだ」
学者になれなかったら死ぬとすら考えていたササメはもういない。今でも学者になる夢は捨てていないが、叶わなかったらその時はその時、と妙に開き直っている。
これは好ましい変化なのだろうか。
「あら、明後日帰っちゃうの」
ササメの背後からトウジがぬっと顔を出して残念そうに言う。
「そうなんです」
ササメは反射的にトウジに返事する。
……トウジ?
ゆっくりと振り向いて彼女の姿を確認する。幻聴や幻覚ではなく、間違いなくこの場に、いる。何故かスコップまで持っている。
「ぎゃああああああああ!」
慌てて後ずさろうとするが、すかさず胸ぐらを掴まれた。
「化物に襲われたみたいな悲鳴ね」
「だ、だだ、だって」
あなたは僕を殺そうとしたじゃないですか!
ササメの声にならない訴えを読み取ったのか、トウジはにっこりとほほ笑んだ。
「つい最近楽しんできたから貴方を襲うつもりはないわ。ただ少し、お願い事があるのよ」
何を楽しんできたのかは、聞かない方が幸せだろう。
「……お願い事、ですか?」
「ちょっと、私だけでは分からない事があってね」
トウジはそう言いながらササメの胸ぐらを掴む手を放した。口ぶりこそ穏やかだが、部屋の出口の真ん前に立っている事から、ササメに拒否権が無い事は嫌でもわかる。
「学者の卵である貴方から意見が聞きたいのよ」
「僕に分かる事でしたら答えますよ」
だからさっさと帰ってくれ。
ササメのそんな胸中を綺麗に無視してトウジはササメの手を取って部屋の扉を開けた。
「ここじゃ説明できない事なの。ついて来て」
「え、いや、あの」
部屋から出たくないんですけど。
「乱暴な人に絡まれても私が守ってあげるから」
「トウジさんも乱暴な人の部類じゃ――」
「何か言ったかしら?」
「すいません何でもないです」
ササメは諦めてトウジに行き先を任せた。
どうか、生きてこの部屋に帰れますように。
* * *
トウジに連れて来られたのは、からからに乾いて痩せた丘に十字架が点々と突き刺さる場所――墓場だった。数日前にアキナガに連れられ、そして数多の魔物を葬った場所だ。
肉塊があった辺りを眺めてみるが、そこにはもう肉塊は無い。ただ不自然に色のついた染みがあるだけだ。
「ここは初めてかしら?」
「……いえ、何日か前に一度だけ」
あの肉塊とむせ返るような血と脂の臭いは、今思い返しても吐き気がする。
「ここはね、流刑街で死んだ人達が眠っている場所なの」
「そうみたいですね」
トウジは粗末な十字架を愛おしげに撫でる。
「流刑街には毎日死体が出る。でも、次の日には街から姿を消して、いつの間にかここで静かに眠ってるのよ」
「いちいち確認してるんですか?」
「ここにはまめに来てるけど、具体的にいくつ墓が増えたなんて数えては無いわね。ただ、十字架の位置が違っていたり、土の盛り上がりが増えてたりするわよ」
ササメはふと足元を確認する。土の盛り上がった部分の真上に丁度立っていて、トウジの話から考えればそこには――
「うわわわわっ!」
慌てて平坦な部分に移った。その様子を見てトウジはくすくすと笑う。
「貴方は、誰が死体をここまで運んで弔ってると思う?」
「誰が、って……『墓守』じゃないんですか?」
アキナガの話では丘の向こう側に立つ廃れた屋敷に住み、大きなローブを身にまとい、毎日死体をここまで運んで弔っていたと言う。確か、あの犬のような魔物に殺されたという話だ。
ササメがその話を伝えると、トウジはわずかに首を傾げた。
「本当に『墓守』はその人だけだったのかしら? 今はもう弔う人はいない?」
それはおかしいのよ、と言いながらトウジは持っていたスコップで自分の足元を掘り始める。
何をしているんですかと止める間もなく、あっという間に土の下から「それ」が姿を現した。
頭は間違いなく人間だ。土にまみれているが、年の頃はササメと同じくらいの男。眠るように穏やかな死に顔だ。
だが、首から下は人間のものではなかった。馬の様な胴体と手足、背には鳥のような羽、そして尻尾は鱗が綺麗に揃った蛇のそれだ。
「……な……」
「どこかの勇者さんが魔物扱いしそうな容貌でしょ」
トウジは小さく十字を切ってから土を被せて元に戻した。
「今の人ね、私が昨日殺した人なの」
「え」
トウジはあっさりと言い放った。そういえば「つい最近楽しんできたから襲うつもりはない」と言っていたが、楽しんだ相手がこの男なのか。男と言っていいのかも分からないが。
「その時は至って普通の人間で、血も普通に美味しかったわ」
「……それが、何故ああなってるんですか」
「多分『墓守』の仕業だと思うのよ」
トウジは数歩歩き、また別の盛り上がった部分にスコップを突き立てる。ざくざくとスポンジケーキを崩すように土が掘り返され、そこから別の死体が姿を現した。
「……うっ……」
先程の男の死体と比べて腐敗が進んでいるが、それでも同じように人間のものとは思えない姿形をしていた。トウジはすぐに土を被せ、また別の盛り上がった部分を掘っていく。
トウジが次々と見せる死体は、どれもが人間とはかけ離れた姿形をしていた。骨しか残っていない死体もあったが、骨の形が醜く歪んでいてそれだけで異常性がよく分かる。
「どう思う?」
今しがた掘って確認して埋めたばかりの土の上に立ってトウジは訊ねてきた。
「……トウジさんの言う通り『墓守』の仕業、なのでしょうか」
「そして貴方が言う『墓守』は少し前に犬みたいな魔物に殺されたって話よね?」
なのに、昨日トウジが殺した男があんな姿になって埋められている。
「『新しい墓守』がいるんでしょうか」
「私もそう思うけど、ちょっと腑に落ちないのよ」
トウジは眉間にしわを寄せて足元の土を何度か踏みつけた。
「『新しい墓守』さんは、どうして前の人と同じように死体をあんな姿に変えてるの?」
外部から新たに墓守を務める者が来たとしても、成程、確かに不自然だ。わざわざ墓を掘り返して先駆者の行為を知り、同じような事をする意味もないだろう。
そもそも、人間をあんな風に変えてしまう技術は存在しない。認めたくはないが、科学では割り切れない超常的な力の一種なのだろう。だとすると、複数の墓守が同一の超常的な力を使ったと言う事になる。
「……もしかして、あの犬も……?」
アキナガが魔物と称して虐殺した犬のような異形の怪物の群れを思い出す。彼らもこの土の下で眠る人々と同様に、墓守によってあんな姿に変えられたのではないのだろうか。
「私一人で考えてもラチが開かないから、一番知識がありそうな貴方の意見を聞きたいのだけれど」
「……僕にもはっきりとした事は分かりません」
王都で学んできた知識とはかすりもしない問題だ。こんな非現実的な現象は、王都では認められない。
「ただ、仮説は出来ました」
「仮説?」
「間違ってる可能性も高いので、話半分で聞いて下さい」
ササメはそう前置きをして、頭の中で渦巻いている事柄を整理した。
「流刑街の死体を集め、あんな姿に変えているのは『墓守』です。そして『墓守』は一人ではありません」
魔物に襲われて死んだ者と、その後釜となった者、少なくとも二人いる。
「彼らは生物を異様な姿に変える力を持っています」
「生物?」
「アキナガさんが『この街には魔物が多い』と言っていました。僕も、彼が魔物と称する生物を見ました。魔物の特徴とここに埋められている人達の特徴は非常に似通っています」
アキナガが魔物と認めた異形の生物も、墓守によって姿を変えられた生物なのだろう。ササメが目にした魔物は、恐らく元々はただの野良犬だ。
トウジはササメの言いたい事を理解して「魔王様みたいね」と呟いた。
「目的は分かりませんが、『墓守』達は流刑街の死体や野生生物を異形化しています」
今まで見た事も無い生物にする訳ではなく、動物の体をつぎはぎしたような姿形にしている。キメラ、と言う単語がしっくりくる。
「同一の超常的な力を複数の人物が使う事から考えると、『墓守』達は魔女の一族ではないでしょうか?」
物理的な技術とは一線を画した奇妙な術を使う者達。数十年前はこの国のそこかしこにいたらしいが、ササメが物心つく頃にはお伽噺の中だけの存在になりかけていた。今もほんの少しは生き残っているのだろうが、技術革新が進むにつれて彼らの居場所は無くなり、やがては死に絶えるだろう。
数が少なくなり、社会での居場所がなくなった魔女達が流刑街に辿り着く可能性は高い。
「……全てが仮定ですが、僕はそう思います」
学問の場で発表すれば一笑に付されるような内容だが、ここは流刑街の墓場だ。ササメが話し終えるとトウジは「ふうん」と顎に手を当てた。
「つまり、魔女の生き残りが流刑街にやって来て、毎日死体や野良犬に怪しげな術を使ってるって事でいいのかしら?」
「端的に言えばそうなります」
トウジは「参考になったわ」と呟いて粗末な十字架を撫でた。その姿を眺めていると、ふと疑問がよぎる。
「……どうして、そんな事が気になるんですか?」
墓守がしている事は倫理に反する事だが、ササメやトウジに直ちに害になる事ではない。こんな事を気にするよりも、日々襲い来る殺意や暴力に注意すべきではないのだろうか?
ササメの問いかけに対し、トウジは不思議そうに首を傾げた。
「死者の安らかな眠りを妨げる行為は許されるものではないでしょう?」
トウジは胸から提げた十字架を祈るように両手で持った。その十字架で人を殺して血をすすったとは思えない、穏やかな顔つきだ。
「……ちゃんとした僧侶の意識もあるんですね……」
「どういう意味かしら」
「すいません何でもないです」
トウジは墓場から背を向け、流刑街に向けて一歩踏み出した。ササメも続いて一歩を踏み出そうとした――その瞬間、丘の頂上からごうっと風が吹き、それに乗って聞きなれない声がササメの耳に届いた。
「――面白い仮説だけど、残念ながら不正解」
振り向いたササメが捉えたのは、丘の頂上に立つ二つの人影だ……いや、人影と呼んでいいのか怪しい。
「……何だ、あれ……」
彼らには首から上が無かった。顔のある辺りにはゆらゆらと黒い煙が揺れているばかりで、デュラハンが実在すればこんな感じかとササメの頭の冷静な部分はそう考えていた。両腕は地面につくほど長く、肌は生命が感じられない無機質な黒。腹には巨大な一つ目がぎょろりと輝き、背には蝙蝠のような羽が生えている。挙句の果てには尻尾まであり、その先端部には宝石のようなものが付いている。
彼らの背格好は非常に似通っており、違いは服や腹の瞳、羽の色くらいだ。一人は赤色、もう一人は青色を基調にしてまとまっている。
「……魔王様、かしらね」
さして動揺した様子も無く、トウジがぽつりと呟いた。