四鬼の街 第八話「蛇の道は蛇」
「ねえねえアスク、折角だから答え合わせしてあげない?」
二人のうちの一人、青い服を着た方が無邪気な声をあげる。遠くから見てもナツギリと同程度の長身だが、声変わりもしていない幼い声が非常にアンバランスだ。
「良い考えだね、デスク。すぐに終わらせちゃっても退屈だもんね」
アスクと呼ばれた赤い服を着た方も同じ声で答える。青い服を着た方……デスクは「だよねー!」と嬉しそうに笑い声をあげた。
二人は丘の頂上からこちらに少しずつ歩み寄り、ササメ達の声が十分に聞こえる程度の距離をとって立ち止まった。
「……貴方達は、何者かしら?」
トウジが胸の十字架に触れたまま尋ねる。異形の闖入者を警戒し、いつでも迎撃できる体勢を取っているのはササメでも分かった。ササメも自身の懐に隠し持つ銃の重みを意識する。
「人にものを尋ねる時は、まず自分から名乗るのが礼儀なんじゃないの?」
トウジの問いかけに対し、アスクもデスクも長い腕を組んで腹の目を細めた。
「あら、うっかりしてたわ。ごめんなさい。私はトウジ……流刑街で僧侶をしてるわ」
「……僕は、ササメです。所用で流刑街に滞在しています」
トウジは物怖じせずに頭を下げ、ササメはぎこちなく言葉を発して軽く頭を下げた。二人の異様な出で立ちにまだ現実感が抱けない。
「トウジにササメね。僕はアスク、こっちはデスク。丘の向こうの屋敷に住んでる」
アスクはそう言って自分達が来た方角を指差した。蔦が這う窓といい、穴が空いた屋根といい、廃屋と言っても差支えのない屋敷がそこにある。
「僕達が何者か、って話だけど……別に、なんて事は無いよねえ、アスク?」
デスクは腹の目で何度か瞬きをして首を傾げた。頭が無いので非常に分かりにくいが、服の襟が傾いたから恐らく首を傾げたのだろう。
「そうだねえ。僕達、あそこで平和に暮らしてるだけだもんねえ」
アスクも同じような仕草を返す。服の色が同じならば完璧に見分けがつかないほどに、二人の声やしぐさは似通っていた。
「それならそれでいいんだけど、答え合わせしてくれるんじゃないの?」
トウジがにこりと笑うと、アスクとデスクは「「そうだね」」と声を揃わせた。
「君達の仮説は『魔女の生き残りが流刑街にやって来て、墓守として毎日死体や野良犬に怪しげな術を使っている』で間違いないよね?」
ササメとトウジが頷くと、アスクとデスクも頷き返した。
「まず君達が『墓守』って呼んでるもの」
「あれは魔女の生き残りなんかじゃなくて、僕達のペットだよ」
「ペット?」
アキナガの話ではローブを目深にかぶって顔を隠した人間ではなかったか?
トウジも同じことを疑問に思っていたのだろう、「彼らは人間だったわ」と口に出した。
「ヒトの元型はわりと保たせてたし、細かいところはぶかぶかの服で隠してたから分からなかったんじゃない?」
……が、アスクは事もなげに答える。
「ヒト型にも飽きてきたし、一番最近のペットは沢山の犬だったね。見た事はない?」
「犬」
もしかすると、と血の染みが残る地面に目をやると「心当たりアリと見た」とデスクが楽しそうに呟いた。
「ま、それでだね」
「僕達のペットは街から家まで死体を持ち帰ってくる」
「……『墓守』はただの運搬役って事かしら?」
トウジが注意深く尋ねると、アスクとデスクは「「その通り」」と即答した。
「そして、持ち帰ってきた死体をあんな風にしたのが……貴方達?」
「そうそう!」「物わかりが良くて助かるよ!」
アスクとデスクは揃って腹の目を細めた。恐らく笑っているのだろう。彼らの感情の機微はとても読みにくいが、ただ一点……彼らには一切の悪意がない事はひしひしと伝わってくる。
それだけに、恐ろしい。
「それじゃあ貴方達が、魔女の末裔?」
「違う違う」「僕らあんな奴らとは何の関係もないよ」
「……どうやって、死体をあんな風にするの?」
「手段の説明は難しいね」
「僕らが『出来る』ようになった理由がよく分かんないからね」
「でも僕らがやった事は確かだ」
二人はササメの理解度など完全に無視して互いにうんうんと頷き合う。トウジは辛うじて話について行っているらしく、温和な態度を保ったまま眉間にしわを寄せている。
「貴方達のその姿も?」
「そうだね」「まだ慣れない時にやったからいろいろ混ざっちゃったけどね」
お揃いだからいいんだ、と二人は声を揃えた。
「……つまり、貴方達は魔女とは無関係の一般人だけどこういう事が出来る力がある。それを利用して墓守……いえ、ペットを作り上げて流刑街からあの屋敷まで死体を運ばせて、貴方達が死体をあんな風にした。これで合ってる?」
この力の正体や、死体を改造する理由はまだ分からない。けれども彼らが『墓守』や『魔物』の元凶である事はササメにも理解できてきた。
二人も「せいかーい」と気のない拍手をトウジに送る。
「――それじゃあ、説明はこれぐらいにして本題に入ろうか」
「お話ばっかりするのもつまらないしね」
拍手は唐突に止み、いつの間にかアスクの手には真っ黒な教鞭が握られ、デスクは真っ黒な板のようなものを両手の上に載せていた。
「……何ですか、それは」
ササメは慎重に口を開いた。アスクの教鞭はともかく、デスクの黒い板を隠し持っていた様子は今までなかった。まるで魔法のようにデスクの前に現れた。それだけでも異質なのに、一切の光を反射しない吸い込まれそうな黒は、ササメが今まで見た事も無い材質だ。
「これでペットを作るの」「アスクが文字を出して、僕が変えるんだ」
二人はそれぞれの道具を持ったままこちらに一歩近付く。ペットを作る、と言う言葉に嫌な予感しかしない。トウジもそれは感じているようで、胸の十字架を二つに割ってトンファーを構えた。
「沢山の犬は、どうしたの? 彼らが一番最近のペットなのでしょう?」
「みんな殺されちゃった」「あの鎧の男のヒトに!」
アキナガの事だ。
「だから新しいペットが欲しいなって」「ね」
トンファーを構えたトウジに怯む様子も無く、二人はずかずかと距離を詰めてくる。
「……ササメさん。私が二人をどうにかするから、その間に逃げなさい」
「え?」
「何の罪もない迷える子羊を災厄から護るのは僧侶の務めなのよ?」
「……トウジさんがそんな事を言うなんて、意外です」
素直に思った事を口に出してみると、トウジはふふっと笑った。
「その発言、こんな状況じゃなけりゃ殴ってるところよ」
「勘弁してください」
ササメは少しずつ後ずさり、トウジはササメを庇うようにじりじりと立ち位置を変える。
「勘弁できないから、後で殴りに行くわ」
「……せめてビンタにしてください」
トウジが二人に対して大きく踏み込むと同時に、ササメは背を向けて走り出した。
* * *
脇目も振らずに街中を駆け、宿に帰宅する頃には日が高く昇っていた。感覚的にはもう日が暮れていてもおかしくないのに、世間ではまだ昼食の時間帯だ。
宿の亭主から昼食を受け取り、部屋で機械的に胃の中へ詰め込んだ。その間も窓から外の様子を観察していたが、トウジが通りかかる事は無かった。
(……トウジさん……)
彼女は強い。あのナツギリに勝ち続けている。アスクとデスクと名乗った二人にはナツギリとは別種の恐ろしさが感じられるが、彼女の強さはそれも超えるだろう。
ササメは自分自身にそう言い聞かせながら、宿の前に彼女の姿が現れるのを待ち続けた。しかし、いくら待ってもトウジの姿は見えず、いつしか日が暮れていた。
もしかしたら宿に寄らず教会に帰ったのかもしれない。ササメはじわじわと侵食してくる不安感をそう考えて抑え込み、夕食をやはり機械的に詰め込んでから眠る事にした。
外出するのは恐ろしいが、早朝ならばリスクもやや低い。明日は教会を覗いてトウジの無事を確認したら、すぐに宿に逃げ帰って一日を過ごそう。
翌朝、ササメは日が昇ると同時に目が覚めた。簡単に身支度を済ませ、階下に降りて宿の亭主から朝食を受け取る。
「今日はまた一段と早いな」
「ちょっと確認したい事があって」
ササメは硬いパンと何の味付けもされていないサラダを水で流し込んでいく。宿の亭主は眠たげに欠伸を繰り返しながら、朝食用のサラダを次々と盛り付けていく。
思えば宿の亭主はササメが眠るよりも遅くまで起き、日が昇る前にはこうしてここにいる。今まで意識した事も無かったが、彼の生活サイクルはどうなっているのだろうか。
「……いつ寝てるんですか?」
「暇な時に」
思わず疑問が口を突いて出たが、宿の亭主の答えは素っ気ないものだった。
「そもそも、どうしてこんな街で宿屋をしようと思ったんですか?」
「あんたはまだ、流刑街を『こんな街』呼ばわりしてるんだな」
そう言って笑う彼の声音に敵意は無い。
「治安が最悪ですし、誰も僕と同レベルの会話ができませんし、気を抜けばすぐに殺されかける。最悪の街です」
「そんな最悪の街に今日はお出かけするんだろう」
宿の亭主はササメの服装を指差すので、ササメは素直に頷いた。
「ある人に窮地を救って頂けたので、そのお礼を言いに行くんです」
「殊勝な心がけだ」
「そんな事も出来なくなったら、同類になっちゃいますから」
空になった皿をまとめて宿の亭主に渡し、ササメは席を立った。
早朝の街を足早に進み、誰とも会わずに教会まで辿り着いた。日中はまだ暖かいが、早朝となると冬の足音が肌に感じられる。
教会の扉をゆっくりと押し開けて中に滑り込む。礼拝堂は以前訪れた時と何ら変わりが無く、窓から絶えず寒気が流れ込み、外との温度差がない。
礼拝堂の中、教壇の後ろにも誰もおらず、ササメは居住用のスペースへ続く扉に目を向けた。恐る恐る扉を開け、見覚えのある廊下を静かに進む。廊下には点々と血痕が残されていてぎょっとしたが、よくよく確認するとそれはササメがトウジに襲われた際についたものだった。
日数で数えるとつい最近の事なのだが、感覚的には遠い昔の事のように思える。左手を少し動かしてみると、じわりと痛む。完治には程遠いが、出血量が減っているのは良い変化だ。
廊下をさらに進み、錠の下りていない部屋の前に立った。耳をそばだてて中の様子を窺うが、何の音もしない。
ササメは何度か深呼吸を繰り返し、扉を静かに開けた。
「……え……?」
部屋の中にはベッドと机とクローゼットだけが置かれ、窓から入る日差しが部屋を照らしている。机の上にはよく読み込まれてぼろぼろになった聖書と見覚えのあるトンファーが置かれていた。
見覚えのある空間。だが、それだけだ。この部屋には誰もいない。一応クローゼットも開けてみたが、トウジの替えの服が掛けられているだけで、誰かが潜んでいる事も無かった。
「……帰って来ていない?」
まさか。ササメは一通り部屋を調べ、廊下と礼拝堂もくまなく見て回った。だがどこにもトウジの姿は無く、教会はがらんとしている。
「……入れ違いになった、とか?」
ササメを殴る為に宿に向かった。だから教会にいない。そういう事だろうと考えて、ササメは教会を出て宿に向けて駆けた。
宿に戻ったササメを出迎えたのは、宿の亭主一人だけだった。食堂には誰の姿もない。
「早かったな」
「誰か……僕を訪ねて来ませんでしたか?」
「いいや。あんたが出てから誰も来てないな」
宿の亭主はササメに水の入ったコップを差し出して「何があったかは知らんが落ち着け」と諭した。
ササメはコップをぼんやりと眺めながら、荒れた息をゆっくりと整えた。何が起こっているのか、ようやく理解できてきた。
――トウジさんがまだ帰って来ていない。
* * *
「…………」
自分がひどく無謀な事をしようとしているのは自覚している。運が悪ければ死ぬだろうし、運が良くても怪我はするだろう。無傷で済めば運を使い果たして今後数年間はろくな目に遭わない自信がある。
それでも、自分を庇ってくれた女性をこのまま見捨てるのはササメのプライドが許さなかった。他人を使い捨ての盾のように扱うほど落ちぶれていない。最初は恐怖心とプライドが拮抗していたが、この街の薄汚い住人と同類になりたくないという思いが最終的に勝った。
そのプライドを守るために薄汚い住人の力を借りるのは気が引けるが、ササメ一人の力で解決する問題ではない。どうせ明日の正午には馬車に乗って王都に帰るのだから、頭を下げて恥をかく程度の事はやってやろう。
(……とりあえず、生き残る事を最優先に)
ササメは深く息を吸って、路地裏に佇むその家の扉をノックした。
「はあい」
のんきな声と共に現れた住人――ハルミの頭にすかさず銃を突きつける。
「すみませんが、両手を挙げて下さい」
「物騒ですねえ」
ハルミはにこにこと微笑みを浮かべながら両手を挙げ、ササメを部屋に招き入れた。
部屋は、以前訪れた時と何ら変わりはない。ただ一つ違う点を挙げれば、拷問室へ続く鉄の扉が開いており、拷問用の椅子には麻袋を頭から被った男が力なく腰掛けている。生気を感じられないその姿からして、恐らくもう息は無い。
「この状態だとセルフサービスになりますけど、お水でも飲みますかあ?」
「眠くなるので結構です」
「根に持ってますねえ」
「魔物の件で嘘をついてくれたことには感謝しますが、それで拷問の件を帳消しにするほど僕は心が広くないので」
ハルミがそろそろと手を降ろそうとしたので銃を揺らして威嚇する。
「あの時は悲鳴が聞きたい気分だったからササメさんを襲いましたけど、今は悲鳴聞いたばっかりで満足してるので襲いませんよお」
ササメはちらりと拷問室にいる男の死体を横目で見る。トウジも「つい最近楽しんだから襲う気はない」と言った事がある。それと同じようなものだろうか?
「……警棒やナイフ、その他武器は机の上に。手を降ろしても後ろで組んだり、怪しい動きをしたら撃ちます」
「はあい」
ハルミは間延びした返事と共に警棒とナイフ、それに手錠や針を次々と机の上に並べた。よくもまあこれだけ持ち歩けたものだと感心するほどの暗器が机上に並び、ハルミは「手を挙げっぱなしってのも疲れますよねえ」と両手を降ろした。
「……で、わざわざ銃を突き付けてまでやって来たササメさんの御用は何でしょう?」
「ハルミさんにお願いがあります」
「ほうほう。今は博愛的な気分ですし何でもお手伝いしてあげますよお」
ていうか断ったら殺されちゃいそうですし、とハルミはこぼす。
「お願いの前に一つ確認したいんですが……保安官を名乗るくらいですから、流刑街の地理や人物には詳しいんですよね?」
「当たり前じゃないですかあ。逃げる犯人を的確に追い詰める為には不可欠ですよお」
ハルミはけらけらと笑った。入り組んだ路地裏も住人の名前や性格も把握していると彼女は言う。その言葉にササメは密かに安堵した。
「……お願いと言うのは」
やはり、彼女に当たるのが正解だった。
「トウジさんを探して下さい」