色は匂へど [2]
ダークマターの主な仕事は二つある。
一つは、ファイナルスターに攻めてくる敵からの防衛。敵は大体、闇を潰すことに正義感を感じている光の組織か、ダークマター達の闇の力を利用しようともくろむ闇の組織かのどちらかだった。ダークマター一族は世界的に見ても大きな闇の組織だが、世界の光と闇のバランスを取るという星の戦士は滅多にやって来ない。それは、一族の首領であるゼロという存在の強さや特殊さが関係しているとグーイは考えている。
もう一つは、組織の資金と食料の調達。他星に赴いて原住民の体を乗っ取り、騒ぎを起こすことなく静かに資金と食料を調達していく。残された原住民は突然消えた金と食料に戸惑うかもしれないが、食料は原住民が生き残れるぐらいは残しているので、滅びるということはないだろう。
基本的にダークマターはこれらの仕事をこなすために戦闘能力と憑依能力の二つの力を持っているが、グーイは憑依能力を持っていなかった。その代わりに、並外れた戦闘能力を持っていた。であるから、グーイの仕事は必然的に「敵からの防衛」だけだった。
今、グーイはファイナルスターの大気圏を抜けてすぐのところにいた。生身の人間なら確実に助からない場所なのだが、ダークマター一族にとっては宇宙も陸も大した違いはなかった。
前方を見ると、巨大な戦艦が三隻並んでこちらを向いていた。どれも同じ形であり、同じ星の同じ国の同じ工場が作ったものであると容易に予想できた。なかなか文明が進んでいるところらしい。
後方を見ると、何十人ものダークマターがグーイの命令を待っていた。グーイはその実力と知略で、防衛においてリーダーのような存在だった。
グーイは戦艦を指差し、
「行け」
とだけ言った。
ダークマター達は三手に分かれて一斉に戦艦に向かった。戦艦はそれに気がついてすぐに砲撃を始める。一発でも当たれば例えダークマターでも即死するが、砲撃をかわす訓練は毎日行っているため当たる可能性はごく少ない。当たっても、一人か二人といったところだろう。
戦艦にたどり着いたダークマター達は内部に侵入し、中にいる人間に憑依して戦艦を操り、ここから遠い地まで運んでいく。敵は全員殺せば手っ取り早いのは確かだが、ゼロがそれを禁じていた。以前、グーイがその理由を聞いたことがあったが、
「つながりは大事だからな」
と不明瞭な答えを頂いた。
ダークマター達が戦艦にたどり着き、憑依が終わるまでの間、グーイはファイナルスターに向かってきた砲弾の相殺に尽力した。音速で飛んでくる砲弾を黒い雷で相殺する。集中力が必要なことだったが、慣れていた。
しばらくして、戦艦からの砲弾が止んだ。戦艦はゆっくりと向きを変え、ファイナルスターから離れていく。その間に、グーイは戦艦があった場所へ向かった。砲弾に当たったダークマターがいるかどうか確かめ、いればファイナルスターに持ち帰って供養しなければならない。
戦艦があった場所にたどり着き、辺りを見回すと死体がひとつだけあった。予想通りダークマターで、胸の辺りに小さな空洞がある。小さな砲弾なので、中にいる人間から直接撃たれたものだろう。戦艦の砲弾なら少なくとも体の半分以上は吹き飛ぶ。
グーイは死体に近寄り、開いていた目を閉じた。胸の空洞に目をやると、それは心臓があった辺りだった。よく見ると少々グロテスクなものだったが、もっと過激なものを沢山見てきたグーイにとってはかわいいものだった。
「……ん?」
空洞の一部分で目が留まった。なにかある。
手を入れてそれを取り出してみると、小さな黒い物質だった。弾力があって不思議なやわらかさがある。「生前」の体にはない、ダークマターの体にもないと思う異物だ。
それをいろいろな角度から眺めてみたが、何なのか全く分からない。ひとまずポケットにしまった。あとで一号かゼロに聞こう。
それからもうしばらく待つと、無事に任務を終えたダークマター達が帰ってきた。彼らはグーイに軽く頭を下げ、心の中で悪態をつき、ファイナルスターへ帰った。グーイも続いた。
* * *
「おかえりです」
グーイが自室に帰ると、イロハが嬉しそうに出迎えた。イロハにも自室があるにもかかわらず、彼はよくグーイの部屋に来ていた。
「……自分の部屋でじっとしてろよ」
グーイは正直、どこまでもついていこうとするイロハが少し鬱陶しかった。一人で静かに小説を読みたいのにそれができないのはストレスでもあった。
が、イロハはそんなグーイの心も知らずに首を振る。
「イロハの部屋は退屈です」
「確かに、そうかもしれないが俺には一人でいる時間が必要なんだよ」
「でもイロハはグーイと一緒にいたいです」
言葉に詰まった。一緒にいたい、と言われたのは初めてだ。胸に妙な苦しさが満ちる。
「……いいからさっさと出て行け!」
胸の苦しさを悟られないために、わざと口調を荒くして言った。
イロハはその気迫に気おされて、グーイの部屋を出て行った。
「……分かったです。晩御飯はイロハと一緒に食べるですよ」
とだけ言い残して。
一人になって静かな部屋でグーイは先程のイロハの言葉を反芻した。
『でもイロハはグーイと一緒にいたいです』
思い出すだけで胸が苦しくなった。何故苦しくなるの分からない。
そもそも、何故イロハはこんなに自分のことを慕ってくれるのだろうか。
イロハは不思議なダークマターだった。子供だからだろうか、心に暗い部分が全くないのだ。全てに対して、グーイにすら好意を抱いている。
――もし、彼がグーイの能力を知ったら、グーイを嫌うだろうか?
グーイはふと考えてみた。心を読めるということをイロハにまだ話していなかった。
能力を話したときのイロハの反応を想像していたが、気分が重くなってきたのでやめた。小説を読んで気分を紛らわそう。
探偵が真犯人に証拠を突きつけた辺りで、グーイはポケットに入っているものを思い出した。
ダークマターの死体の中にあった黒い物質。読書を中断してそれを取り出した。
「…………?」
改めて観察しても何なのか分からない。光にかざしても中身が透けて見えるというようなことはなかった。
一号かゼロに聞こう。
グーイは自室を出てゼロの部屋に向かった。
* * *
珍しいことに、部屋にはゼロしかいなかった。ゼロ曰く、一号は今自分の部屋で書類の整理をしているらしい。
「ゼロ様、これは何ですか?」
早速黒い物質を見せると、ゼロは軽く眼を見開いた。
「これをどこで手に入れた?」
「今日の防衛で死んだ奴の傷口から見つけました」
ゼロはグーイの手から黒い物質を取り、それを優しく撫でた。
「これは、ダークマターの核だ」
「核?」
「いわば、心臓のようなものだ」
グーイは自分の左胸に手を当てた。心臓がどくんどくんと脈打っている。
「心臓はこれじゃないんですか」
「確かに心臓はそれだ。しかし、この核が心臓に刺激を与えて動かしている。核がなければ心臓は動かない」
「ペースメーカーのようなものですか」
ゼロは頷き、核をグーイに返した。
「核にはその人のエネルギーが詰まっている。上手に扱え」
「俺が持っていていいんですか?」
再び頷く。グーイは恐る恐る、核をポケットに入れた。
「怪我を癒すこともできれば、他人の心を壊すこともできる。使い方はお前次第だ」
「……分かりました」
ゼロに深々と頭を下げて、グーイは部屋を後にした。
* * *
自分の部屋に戻ろうかと思ったが、途中で腹が減っていることに気づいた。
イロハの言葉を思い出して、グーイは彼の部屋に向かった。恐らくグーイの部屋以外のイロハの居場所はそこしかないと思えたから。
「…………」
……が、そこにイロハの姿はなかった。グーイの部屋で待ち伏せしているのかと思ってそちらにも行ったがいなかった。
近くを通りがかったダークマターに聞いても、恐怖やら侮蔑やらの感情を貰っただけで情報はなかった。
グーイはイロハがいそうな場所を考えた。ダークマターがいない場所。子供が好きそうな場所。
たった一箇所だけ、思い当たる場所があった。
その場所、屋上にイロハの姿はあった。二つの弁当を膝に置いてぼうっと空を眺めていた。かすかな微笑を浮かべており、こんな時でさえ彼からは負の感情はなかった。
「やっぱりここか」
グーイが声をかけるとイロハはぱっと顔を輝かせてこちらを見た。
「グーイ! 言ってなかったのに、どうして分かったですか?」
「子供は外が好きだからな」
イロハは照れるように笑い、膝に置いた二つの弁当のうち大きいほうをグーイに差し出した。
「晩御飯、食べるですか?」
グーイは黙って弁当を受け取り、イロハの隣に座った。
「いただきます」「いただきます」
二人揃って手を合わせ、それから黙々と弁当を食べ始めた。
弁当を食べ終わり、することがなくなってもイロハはそこを動こうとしなかった。弁当箱を横に置いてじっと風景を眺めている。グーイも同じ景色を見ているが、何が面白くてこの景色を見ているのか理解できなかった。
「空と建物だけの景色を見てて楽しいか?」
イロハは静かに頷いた。
「今日は、星がきれいですよ」
まるで星をつかむかのように、手を伸ばした。その様子を見てグーイは呆れた。掴めるはずもないのに手を伸ばすなんて馬鹿げている。
「今日は、ってことは何回もここに来ているのか?」
「グーイがいないときはいつもここです」
イロハはとても愛おしそうに眼前の景色に目を細めた。ただの夜空とただの建造物の明かりに、だ。
「おまえ、暇人だなあ」
「イロハは暇で幸せです」
グーイが怪訝そうな顔でイロハを見ると、イロハはにっこりと笑った。
「こんなに世界はきれいだってことに気づけたですから」
* * *
しばらくの間二人で風景を見ていたが、感じているものは全く違っていた。グーイは退屈を、イロハは美しさを味わっていた。
何も言うことなく自然に風景観賞は終わり、弁当を持って建物に入った。
グーイの部屋に向かう途中、数人のダークマターと鉢合わせた。
「げ」「げ」
運が悪いことに、その内の一人は十八号だった。周りのダークマターは恐らく彼の取り巻きだろう。
グーイと十八号がにらみ合う中、
「こんばんは、です」
空気の読めていないイロハが能天気に十八号達に向かって挨拶した。
イロハの姿を認めた十八号が、不敵に口の端を持ち上げた。グーイは嫌な予感がした。
「お前か、グーイが子守してるっていうガキは」
イロハがこくりと頷くと、十八号のサディスティックな笑みはさらに広がった。
「お前、知ってるのか?」
「なにをです?」
グーイは瞬間的に十八号が言わんとしていることを悟ったが、止める間もなく十八号は言葉を発した。
「グーイは人の心が読めるってことをよ」
「……こころ、ですか?」
イロハの純粋な瞳が十八号を見ている。グーイは十八号によってその貴重な純粋さが汚されそうで吐き気がした。
「つまりだ、グーイはお前が考えてることが分かるんだよ」
ようやく言葉の意味を理解したイロハが大きく目を見開いた。心の声も驚きに満ちていた。
「…………」
イロハはじっとグーイを見つめた。イロハの心がグーイに話しかけた。
「…………!?」
その言葉が信じられず、グーイは瞬きを繰り返した。
イロハは心で言った言葉をそのまま、口に出して言った。
「それが、どうかするですか?」
十八号が驚愕の表情を浮かべ、それから舌打ちしてその場を立ち去った。
* * *
グーイの部屋に戻っても、イロハはグーイの能力に対して何も言わなかった。
「これ、読んでみていいですか?」
と本棚に置いてある読みかけの推理小説を手に取ったりしていた。
「……まだ読みかけだ」
能力を憧れも恐れもしない。心を読んでもそんな気配は微塵もない。グーイはそんなイロハが信じられなかった。今までこの能力を知ったものは憧れるか恐れるか、どちらかの行動を必ず取ったのに。
イロハは自分に都合のいい幻覚ではないのかとさえ思う。
「……イロハ?」
「何です?」
「おまえ、俺の能力が分かってもなんとも思わないのか?」
イロハは小首を傾げて、
「グーイや、他のひとが死ぬ能力じゃないから、別に良いと思うですよ」
「……俺や他のひとが傷ついても、か?」
「傷ついても、死ぬわけじゃないです」
「…………」
グーイはイロハの考え方に沈黙した。今まで出会ったことのない考え方だった。
「死んだら、ぜんぶ終わりです。でも、生きてたら、いつか幸せになれるはずです」
イロハは自分に言い聞かせるような口調で言った。
「グーイの能力だって、今は嫌われていても、いつか認められるひとに会えるですよ」
能力のことを知ったのは今しがたなのに、能力のせいで嫌われていることをイロハは悟っていた。
「……そう、思うのか」
「思うです」
はっきりとイロハは断言した。なぜだか、胸の辺りが熱くなった。
「……そろそろ寝る時間だろ。帰れ」
まだこの部屋にいたがるイロハを無理矢理部屋から押し出した。
イロハが去って独りになった部屋で、読みかけの推理小説を片手にベッドに腰掛けた。推理小説はあと少しで読み終わるところだったが、読む気になれなかった。
ぽたり。
無意識のうちに、目から水のようなものが一滴流れた。その水は今までにも何度か流れたことがあったが、それは悲しい気持ちを伴って流れるものだった。
今回は違った。悲しさがない。それなのに、胸を何かが締め付けている。
とても、不思議な気分だった。