No.142
アルキスと二十日さん宅バラマンドさんのSS
シャンデリア、肉、酒、宝飾品、香辛料、笑い声、魚、香水、楽団。
人間と情報の洪水の渦中にあって、その人の周りだけぽっかりと空洞のようになっていた。髪を整え礼服を身に纏っているが、血と消毒薬と火薬の匂いを漂わせている。贅の限りを尽くした立食パーティーではなく、戦場に生きる人だ。
「こんばんは。バラマンド様とお見受けします」
彼――バラマンドはこちらをちらりと見て、すぐに視線を外した。
「ボクはアルキスと申します。ハルオラの外交官を務めておりまして、バラマンド様にお会いしたいと思っておりました」
「酒も飲めねぇガキが外交官とは、ハルオラの未来は安泰だな」
「はい。ハルオラの……いいえ、もっとたくさんの未来のためにボクはここにいます」
アルキスがにこりと微笑むと、バラマンドはふんとため息をついてシャンパンをあおった。それに合わせてアルキスも炭酸水を一口飲む。ハルオラのものと比べて随分と炭酸が強い。
「で、話は何だ。ただおしゃべりするために来たんじゃないだろう」
「ボク個人としてはそれでもいいんですけどね」
一歩、距離を詰めて声を落とす。笑い声とアップテンポな曲に満ちた空間の中で、バラマンド以外の誰の耳にも届かない。
「近いうちに、世の中が大きく乱れます」
怪訝そうに目を細めるバラマンドに対して、アルキスは先程までと全く同じ微笑を浮かべながら生ハムが乗った小さなパンを食べた。むやみに塩辛い。
「もしそうなっても、ハルオラとバハマリアは仲良くしませんか? 軍事的にも経済的にもお互いを攻撃することはせず、支え合うのが一番だと思うんですよ」
「まるでデカい戦争が起こるみたいな言い方だな」
「まるで、ではないですよ」
ハルオラは今、隣国との小さな揉め事を抱えている。どちらかというと隣国に非があるが、政治的、経済的な思惑が絡まり、なかなか解決せずにこじれ続けている。あれが火種になる。火種にしてみせる。
バラマンドは串焼きの肉を齧りながら目を伏せた。アルキスが見上げるとちょうど目が合うくらいだが、視線が合うことはない。
「バハマリアじゃ、マフィアを潰すためにそのマフィアや敵対するマフィアと『仲良く』するのはザラにあってな。最後はどうなると思う」
「その言い方だと、お友達ではなくなるのでしょうね」
「分かってんじゃねえか。最後は全員ブタ箱行きだ」
バラマンドはぐっと身をかがめた。嗅ぐだけで頭がくらくらするような、強い酒の匂いがする。
「アルキスって言ったか? 二つ聞かせてもらおうか」
「はい」
「何故俺にその話をした? バハマリアは友達ごっこに付き合うようなお人好しな国だと思っているのか?」
値踏みするような視線。ハルオラであってもバハマリアであっても、投げかけられる視線は変わらない。
「まず、そちらの大統領にはボクよりもっと上の者が話を通すでしょう。ボクがバラマンド様に声をかけたのは、アナタはいつかバハマリアに欠かせない存在になると思ったからです」
「何故そう思った」
「いくつもの戦場に行って生きて帰ってきて、個人の強さだけではなく人を率いて動かす冷静さもある。『戦いに勝つ力』がずば抜けて高い。バハマリアに来るにあたって沢山勉強する中で、声をかけるならアナタしかいないと結論付けました」
若造であるアルキスが話しかけることを許された人間の中には、バラマンドより高い地位の者も存在する。
しかし、今は良くても数年後はどうなる?
バハマリアとは長い付き合いになる。ならば、この陰謀と闘争が渦巻くバハマリアを生き抜く力を持つ者と親交を深めるべきだろう。
「友達ごっこの方は、本当に友達になれとは言いません。でも、面倒事は起こさないと約束できたら互いの負担は減るじゃないですか。それに仲違いをしないということは、世の中が乱れてもハルオラはそちらの資源が、バハマリアはこちらの食料品が手に入りやすい。利のある関係だと思いますよ」
「利のある関係だとしても、最後はよくてブタ箱行きだろう」
「まさか。ボクは最後までバハマリアと手を取りたい。でも、そう言って信じて頂けるわけがないので、こう言い換えましょう」
バラマンドの目をまっすぐに見る。
「バハマリアは、ハルオラに負けるほど弱い国ではないでしょう?」
数秒の沈黙。
それを破るように、バラマンドがぶはっと噴き出した。
「……ハッ。そりゃそうだ」
バラマンドの周りから重苦しい空気が消えた。「ちょっと待ってろ」と言ってその場から離れて、少ししてから両手に大ぶりのタコスを手に戻ってきた。
「ほらよ」
片方のタコスをぶっきらぼうに渡される。手に取ってみるとずしりと重く、ほんの少しの野菜と牛肉の小さなサイコロステーキがこれでもかと詰まっていて、真っ赤なソースがふんだんにかかっていた。
「ありがとうございます。頂きます」
アルキスが端からかじり始めた一方で、バラマンドは大きな口を開けてがぶりと食らいつく。細かな野菜がこぼれ落ちることも厭わない豪快な食べっぷりは、彼がまるで違う文化の育ちであることを示していた。
アルキスは己のペースを崩さず野菜をこぼさないように慎重に食べ進めていたが、ソースがたっぷりかかった肉を口にして動きが止まった。その様子を見てバラマンドはニヤニヤと笑っている。
「……あ、あの……」
「何だ、バハマリア自慢の料理がまずくて食えたもんじゃないってか」
アルキスは小さく何度も首を横に振った。
「美味しい、です、けど」
炭酸水を飲む。刺激が強くて口の中がまるで休まらない。
「ぼ、ボクには辛味が強すぎて……」
「だろうなあ!」
バラマンドはゲラゲラと笑いながらアルキスの肩を何度も叩いた。同じソースがかかっていたはずなのに、彼の手から既にタコスは消えていた。
「これからバハマリアと対等に付き合うつもりなら、これを笑顔で食えるようになるんだな」
「精進します……」
――それからしばらくして、アルキスの言葉通り戦争が始まり、ハルオラとバハマリアの不可侵条約が締結された。
長く続く灰の時代の始まりであった。
畳む
シャンデリア、肉、酒、宝飾品、香辛料、笑い声、魚、香水、楽団。
人間と情報の洪水の渦中にあって、その人の周りだけぽっかりと空洞のようになっていた。髪を整え礼服を身に纏っているが、血と消毒薬と火薬の匂いを漂わせている。贅の限りを尽くした立食パーティーではなく、戦場に生きる人だ。
「こんばんは。バラマンド様とお見受けします」
彼――バラマンドはこちらをちらりと見て、すぐに視線を外した。
「ボクはアルキスと申します。ハルオラの外交官を務めておりまして、バラマンド様にお会いしたいと思っておりました」
「酒も飲めねぇガキが外交官とは、ハルオラの未来は安泰だな」
「はい。ハルオラの……いいえ、もっとたくさんの未来のためにボクはここにいます」
アルキスがにこりと微笑むと、バラマンドはふんとため息をついてシャンパンをあおった。それに合わせてアルキスも炭酸水を一口飲む。ハルオラのものと比べて随分と炭酸が強い。
「で、話は何だ。ただおしゃべりするために来たんじゃないだろう」
「ボク個人としてはそれでもいいんですけどね」
一歩、距離を詰めて声を落とす。笑い声とアップテンポな曲に満ちた空間の中で、バラマンド以外の誰の耳にも届かない。
「近いうちに、世の中が大きく乱れます」
怪訝そうに目を細めるバラマンドに対して、アルキスは先程までと全く同じ微笑を浮かべながら生ハムが乗った小さなパンを食べた。むやみに塩辛い。
「もしそうなっても、ハルオラとバハマリアは仲良くしませんか? 軍事的にも経済的にもお互いを攻撃することはせず、支え合うのが一番だと思うんですよ」
「まるでデカい戦争が起こるみたいな言い方だな」
「まるで、ではないですよ」
ハルオラは今、隣国との小さな揉め事を抱えている。どちらかというと隣国に非があるが、政治的、経済的な思惑が絡まり、なかなか解決せずにこじれ続けている。あれが火種になる。火種にしてみせる。
バラマンドは串焼きの肉を齧りながら目を伏せた。アルキスが見上げるとちょうど目が合うくらいだが、視線が合うことはない。
「バハマリアじゃ、マフィアを潰すためにそのマフィアや敵対するマフィアと『仲良く』するのはザラにあってな。最後はどうなると思う」
「その言い方だと、お友達ではなくなるのでしょうね」
「分かってんじゃねえか。最後は全員ブタ箱行きだ」
バラマンドはぐっと身をかがめた。嗅ぐだけで頭がくらくらするような、強い酒の匂いがする。
「アルキスって言ったか? 二つ聞かせてもらおうか」
「はい」
「何故俺にその話をした? バハマリアは友達ごっこに付き合うようなお人好しな国だと思っているのか?」
値踏みするような視線。ハルオラであってもバハマリアであっても、投げかけられる視線は変わらない。
「まず、そちらの大統領にはボクよりもっと上の者が話を通すでしょう。ボクがバラマンド様に声をかけたのは、アナタはいつかバハマリアに欠かせない存在になると思ったからです」
「何故そう思った」
「いくつもの戦場に行って生きて帰ってきて、個人の強さだけではなく人を率いて動かす冷静さもある。『戦いに勝つ力』がずば抜けて高い。バハマリアに来るにあたって沢山勉強する中で、声をかけるならアナタしかいないと結論付けました」
若造であるアルキスが話しかけることを許された人間の中には、バラマンドより高い地位の者も存在する。
しかし、今は良くても数年後はどうなる?
バハマリアとは長い付き合いになる。ならば、この陰謀と闘争が渦巻くバハマリアを生き抜く力を持つ者と親交を深めるべきだろう。
「友達ごっこの方は、本当に友達になれとは言いません。でも、面倒事は起こさないと約束できたら互いの負担は減るじゃないですか。それに仲違いをしないということは、世の中が乱れてもハルオラはそちらの資源が、バハマリアはこちらの食料品が手に入りやすい。利のある関係だと思いますよ」
「利のある関係だとしても、最後はよくてブタ箱行きだろう」
「まさか。ボクは最後までバハマリアと手を取りたい。でも、そう言って信じて頂けるわけがないので、こう言い換えましょう」
バラマンドの目をまっすぐに見る。
「バハマリアは、ハルオラに負けるほど弱い国ではないでしょう?」
数秒の沈黙。
それを破るように、バラマンドがぶはっと噴き出した。
「……ハッ。そりゃそうだ」
バラマンドの周りから重苦しい空気が消えた。「ちょっと待ってろ」と言ってその場から離れて、少ししてから両手に大ぶりのタコスを手に戻ってきた。
「ほらよ」
片方のタコスをぶっきらぼうに渡される。手に取ってみるとずしりと重く、ほんの少しの野菜と牛肉の小さなサイコロステーキがこれでもかと詰まっていて、真っ赤なソースがふんだんにかかっていた。
「ありがとうございます。頂きます」
アルキスが端からかじり始めた一方で、バラマンドは大きな口を開けてがぶりと食らいつく。細かな野菜がこぼれ落ちることも厭わない豪快な食べっぷりは、彼がまるで違う文化の育ちであることを示していた。
アルキスは己のペースを崩さず野菜をこぼさないように慎重に食べ進めていたが、ソースがたっぷりかかった肉を口にして動きが止まった。その様子を見てバラマンドはニヤニヤと笑っている。
「……あ、あの……」
「何だ、バハマリア自慢の料理がまずくて食えたもんじゃないってか」
アルキスは小さく何度も首を横に振った。
「美味しい、です、けど」
炭酸水を飲む。刺激が強くて口の中がまるで休まらない。
「ぼ、ボクには辛味が強すぎて……」
「だろうなあ!」
バラマンドはゲラゲラと笑いながらアルキスの肩を何度も叩いた。同じソースがかかっていたはずなのに、彼の手から既にタコスは消えていた。
「これからバハマリアと対等に付き合うつもりなら、これを笑顔で食えるようになるんだな」
「精進します……」
――それからしばらくして、アルキスの言葉通り戦争が始まり、ハルオラとバハマリアの不可侵条約が締結された。
長く続く灰の時代の始まりであった。
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