No.281
CoC「鰯と柊」のネタバレを含みます。
ホワイトデーである。
起源は諸説あり、日本をはじめとした一部の地域にしか浸透していない胡散臭い行事ではあるが、ともかくホワイトデーが近いのである。
八木沼呂々は悩んでいた。
バレンタインデーでは、寧音から手作りのチョコレートをプレゼントされていた。ホワイトデーを迎えるにあたり、お返しをしないという選択肢はないのだが、何を送ればいいのか皆目見当がつかないのだ。
三倍返しは流石に誇張された都市伝説だろうが、たとえ一倍、あるいは一倍にちょっと色を付けた程度であろうと、寧音の手作りチョコレートに匹敵するものなど何があるだろうか。
命を捧げても足りるかどうか危ういが、命はとうの昔に捧げている。全財産をはたいて高価な贈り物をするのもやぶさかではないが、今の呂々の財産は呂々だけのものではない。婚約指輪は寧音のためというより呂々の欲望であるため、プレゼントとするにはあまりにも姑息すぎる。
「どうした呂々、鈴カステラ食べるか」
当の本人である寧音はウンウン悩んでいる呂々の口にお菓子を突っ込んでくる。誰のせいでこんなに悩む羽目になっていると思っているんだ。
「寧音ちゃんなら何だって喜ぶと思うけどねえ」
「俺もそう思うから困ってるんだが……!!」
藁にもすがる思いで寿々にこっそり聞いてみてもこれだ。
そう、おそらく寧音は何を贈っても喜ぶ。だからこそ困るのだ。晩御飯のリクエストで何でもいいと言われるのと同じだ。
寿々は色々なアイデアを出してくれたが、そのどれもが検討済みのものだった。次第に寿々の表情はうんざりとしてきて、
「じゃあもうさ、同じくらいがんばったらそれでいいじゃん」
と投げやりな捨て台詞を置いて部屋に戻ってしまった。
同じくらい頑張る。
それは確かに、気持ちの伝え方としては悪くないかもしれない。
そうと決まってからは早かった。
何をするかを検討し、やることと必要なものを細かくリストアップし、それを元にタイムスケジュールを作り、動画を見てイメージトレーニングを重ね、仕事を前倒しで進めてホワイトデー当日は休暇を取る。
「何か忙しそうだな呂々、ちょっと休憩したらどうだ」
口元に押し付けられたマシュマロを食べながら、スマートフォンの画面を切り替える。寧音に気付かれないようにするのが一番大変かもしれない。
ホワイトデー当日は寧音と寿々を送り出し、事前に仕上げていたタイムスケジュールとリストに基づいて買い出しから始まる一連の作業を進めて行く。
入念に準備をしたおかげで作業はスムーズに進む。やはり何をするにしても事前の準備が重要で、拝掌教にいた頃の情報を聞き出したその日の晩に手を下していた日々は大胆にもほどがあった。あれで上手くいっていたのが奇跡だと思う。
本日何度目かのクッキーが焼きあがる頃に寿々が小学校から帰ってくる。キッチンから漂う甘い香りに全てを察してにんまりと笑みを浮かべながらくっついてきたので、焼き立てのクッキーを何枚か差し出して口止め料とした。
数種類のクッキーを焼き、一番シンプルなバタークッキーは複数の型を使って形にバリエーションを付ける。それらをプレゼント用の箱に詰め込めば、それなりに華やかな見た目になった。余ったクッキーも寧音と寿々の手にかかれば容易く消化されるだろう。
後片付けをし、晩御飯にカレーを作ってキッチンの残り香を誤魔化したあたりで寧音が帰ってきた。我ながら完璧なスケジュールであった。
金曜の夜は普段よりゆったりとした時間が流れている。
晩酌でほろ酔いになったまま家事をだらだらとこなし、よさそうな映画がテレビで放送されるなら、呂々と寧音と寿々で並んで座って鑑賞する。金曜日だけは寿々も夜更かしおよび夜間のジュースが許可されていた。
今日は映画のない日だったので、呂々と寧音は毒にも薬にもならないバラエティ番組を見て、寿々は思う存分ゲームに没頭していた。こういう時、映画の見放題サービスに入れば良かったなと思うこともあるが、結局見ないまま金だけ垂れ流すことにならないかという懸念や、なにやら難しいことができたと自慢してくる寿々の笑顔を見ると、これはこれでとなあなあにしている。
寧音はテレビに映る芸人のボケにケラケラと笑いながらずっと呂々にくっついている。コマーシャルに入るとしきりに鼻をふんふんと動かして、呂々の服に顔をうずめた。
「今日の呂々はなんだか甘い匂いがする」
服に染みついた匂いか。それは盲点だった。寧音は目を輝かせて見上げてくるし、寿々は野次馬根性丸出しの顔でニヤニヤしていた。呂々はため息をついてテレビをちらりと見た。コマーシャルはまだまだ続きそうだ。
「寧音に渡したいものがある」
これが正解なのかどうかわからない。寧音が手間をかけてプレゼントを用意してくれたこと、今もこうして隣にいてくれること、それらについての感謝の気持ちが少しでも伝われば、ただそれだけでよかった。
畳む
ホワイトデーである。
起源は諸説あり、日本をはじめとした一部の地域にしか浸透していない胡散臭い行事ではあるが、ともかくホワイトデーが近いのである。
八木沼呂々は悩んでいた。
バレンタインデーでは、寧音から手作りのチョコレートをプレゼントされていた。ホワイトデーを迎えるにあたり、お返しをしないという選択肢はないのだが、何を送ればいいのか皆目見当がつかないのだ。
三倍返しは流石に誇張された都市伝説だろうが、たとえ一倍、あるいは一倍にちょっと色を付けた程度であろうと、寧音の手作りチョコレートに匹敵するものなど何があるだろうか。
命を捧げても足りるかどうか危ういが、命はとうの昔に捧げている。全財産をはたいて高価な贈り物をするのもやぶさかではないが、今の呂々の財産は呂々だけのものではない。婚約指輪は寧音のためというより呂々の欲望であるため、プレゼントとするにはあまりにも姑息すぎる。
「どうした呂々、鈴カステラ食べるか」
当の本人である寧音はウンウン悩んでいる呂々の口にお菓子を突っ込んでくる。誰のせいでこんなに悩む羽目になっていると思っているんだ。
「寧音ちゃんなら何だって喜ぶと思うけどねえ」
「俺もそう思うから困ってるんだが……!!」
藁にもすがる思いで寿々にこっそり聞いてみてもこれだ。
そう、おそらく寧音は何を贈っても喜ぶ。だからこそ困るのだ。晩御飯のリクエストで何でもいいと言われるのと同じだ。
寿々は色々なアイデアを出してくれたが、そのどれもが検討済みのものだった。次第に寿々の表情はうんざりとしてきて、
「じゃあもうさ、同じくらいがんばったらそれでいいじゃん」
と投げやりな捨て台詞を置いて部屋に戻ってしまった。
同じくらい頑張る。
それは確かに、気持ちの伝え方としては悪くないかもしれない。
そうと決まってからは早かった。
何をするかを検討し、やることと必要なものを細かくリストアップし、それを元にタイムスケジュールを作り、動画を見てイメージトレーニングを重ね、仕事を前倒しで進めてホワイトデー当日は休暇を取る。
「何か忙しそうだな呂々、ちょっと休憩したらどうだ」
口元に押し付けられたマシュマロを食べながら、スマートフォンの画面を切り替える。寧音に気付かれないようにするのが一番大変かもしれない。
ホワイトデー当日は寧音と寿々を送り出し、事前に仕上げていたタイムスケジュールとリストに基づいて買い出しから始まる一連の作業を進めて行く。
入念に準備をしたおかげで作業はスムーズに進む。やはり何をするにしても事前の準備が重要で、拝掌教にいた頃の情報を聞き出したその日の晩に手を下していた日々は大胆にもほどがあった。あれで上手くいっていたのが奇跡だと思う。
本日何度目かのクッキーが焼きあがる頃に寿々が小学校から帰ってくる。キッチンから漂う甘い香りに全てを察してにんまりと笑みを浮かべながらくっついてきたので、焼き立てのクッキーを何枚か差し出して口止め料とした。
数種類のクッキーを焼き、一番シンプルなバタークッキーは複数の型を使って形にバリエーションを付ける。それらをプレゼント用の箱に詰め込めば、それなりに華やかな見た目になった。余ったクッキーも寧音と寿々の手にかかれば容易く消化されるだろう。
後片付けをし、晩御飯にカレーを作ってキッチンの残り香を誤魔化したあたりで寧音が帰ってきた。我ながら完璧なスケジュールであった。
金曜の夜は普段よりゆったりとした時間が流れている。
晩酌でほろ酔いになったまま家事をだらだらとこなし、よさそうな映画がテレビで放送されるなら、呂々と寧音と寿々で並んで座って鑑賞する。金曜日だけは寿々も夜更かしおよび夜間のジュースが許可されていた。
今日は映画のない日だったので、呂々と寧音は毒にも薬にもならないバラエティ番組を見て、寿々は思う存分ゲームに没頭していた。こういう時、映画の見放題サービスに入れば良かったなと思うこともあるが、結局見ないまま金だけ垂れ流すことにならないかという懸念や、なにやら難しいことができたと自慢してくる寿々の笑顔を見ると、これはこれでとなあなあにしている。
寧音はテレビに映る芸人のボケにケラケラと笑いながらずっと呂々にくっついている。コマーシャルに入るとしきりに鼻をふんふんと動かして、呂々の服に顔をうずめた。
「今日の呂々はなんだか甘い匂いがする」
服に染みついた匂いか。それは盲点だった。寧音は目を輝かせて見上げてくるし、寿々は野次馬根性丸出しの顔でニヤニヤしていた。呂々はため息をついてテレビをちらりと見た。コマーシャルはまだまだ続きそうだ。
「寧音に渡したいものがある」
これが正解なのかどうかわからない。寧音が手間をかけてプレゼントを用意してくれたこと、今もこうして隣にいてくれること、それらについての感謝の気持ちが少しでも伝われば、ただそれだけでよかった。
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